なんで多胎支援にかかわるようになったのか理屈で説明してみる39歳の39日間

支援先

NPO法人 つなげる

誕生日

11月21日

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大野 祐一

支援総額

6,286円

/ 390円

1611%
100%
  • 支援総額

    6,286円

  • 支援者数

    3人

  • 残り

    37日

  • 開始日

  • 終了日

支援する

DAY2『子ども』

2025/11/18 13:05

まずは言葉の意味から。『子ども』をオンライン辞書みたいなものでひいたときに、いちばんしっくりきた説明は「行動などが幼く、思慮が足りない者」かな。

あらためてこの言葉を定義するのは、簡単ではない気がしていて、大人じゃないから子どもなのか、ひとりで生きていけないから子どもなのか、何で線引きしたとしても抜け穴があるというか、違和感が残る気が。知人の20歳のお子さんは、お子さんって表現しているときは『子ども』って感覚があるけど。イベントとかでボラ参加している高校生は『子ども』と思って接していない、完全に対等な仲間って感じ。

じぶんから見ると何歳になったとしても、2人(快斗と玲奈)は『子ども』だし、どれだけ何ができたとしても『子ども』な気がする。そう考えると、冒頭の説明文は少し違う気がするので、言葉の定義がものすごく難しい。


話変わって、自分自身が『子ども』だった認識をいつまで持っていたか。それでいうと、なんとなくだけど中2くらいかなと。なんで?というと、親が把握していない知り合いができたのが中2だったから。自分から新しい人とのつながりを求めて、親が知りえない情報を手にし始めてからは、なんか『子ども』って感覚がなくなったんではないかなとふと思う。

自分の生き方・進む道を決められるようになることが、もしかすると子どもから大人に切り替わるターニングポイントになるのかもしれない。

ぼくは、中学~大学までは私立のエスカレーター校で、中学受験をするまでは親にすべてを決められてきたというか、おおげさではなく毎曜日の時間割が6:00-20:00まで完全に決まっていたので、それに100%従って生きてて。そう考えると、自由っていうのはなかった気が。もちろんどの友達と遊ぶとかそういうところまで監視の目があったわけではないけれど、だれとどこで遊ぶのかは報告義務はあったし、名前を言えばどんな子かを母親は把握しているし、昔の小学校は連絡網があったから、その友達の家の住所も電話番号もわかっているという状況だったので、そういう意味で言うと監視下にはあるとも言えなくはない。

ただ、中学以降の学生生活で、テストの点とか成績表の報告義務はあるといえど、それ以外は自由放任で。記憶にないわけではけっしてなくて、中学も高校も進路指導とか三者面談とかはなかったので、親に進路のことを相談することも伝えなければいけないシチュエーションすらなく、高校のコース選択とか、大学の学部、就活とか、誰にも何にも相談せず、決定事項だけ伝えてた。

もちろん、ひとりで生きていけることはなく、衣食住環境は親に整えてもらえていたからこそ、自分が好きなことを好きなようにできていたってのも忘れてはいけないけれど、誰と遊ぶ・何を学ぶ・どこに行きたい、24時間を自分でどうにでも使えるって感覚ができるようになってからは、親ではなく、家にいっしょにいる年上の人って感じになった気がする。


話戻って、じぶんの『子ども』の話。自分の生き方・進む道を決められるように、早くなってもらいたいと思う。ただ、立ち止まったとき・困ったとき・悩んだときは、いつでも話を聞ける・してもらえる距離感では居続けたいなと思う。ついついね、「今日学校で何した」「楽しいことあった」「嫌なことあった」とか聞いてしまうんだけど、そういうコミュニケーションの仕方がいいのだろうかも含めて、人同士の付き合いがしっかりできる関係性をしたいなと常々思う。

これから、自分がわが子に頼りにされるときが来るのかどうかわからないけど、その準備をしているよってのが、DAY1での言語化でもありました。


多胎支援にかかわり始めてから、「自分の生き方・進む道を決める」「24時間を好きに使える」だったり、「衣食住が整っている」「親子で会話がある」みたいな、自分にとってはものすごく当たり前にしてきたことが、そもそも当たり前ではない人もいるし、そこに悩みを抱えているという人がいることってのを、嘘のようなホントの話なんですが、初めて知った。

言葉をストレートに紡ぐと、そういう人たちが置かれている状況のすべてを否定したい。付け加えたいのは、その人の存在を否定しているわけではなく、そうなってしまったあらゆる要因を否定したい。というか改善したい。

こういう文脈でいうと、ぼくはぼくの人生でよかった部分を他人に押し付けたいだけな気もする。だから「そうなりたい」「変わりたい」と思える人にしか関わりたくないって本気で思うし、その人のためだったら、あらゆる自分のリソースを投入して「叶えたい」と思う。


ぼくにとって、つなげるはマッチングの場。「〇〇したい」と「叶えたい」が交錯する場所。


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代表:中原美智子

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