私たちの取り組む課題
語り伝え、ともに考える
2011年に起こった東日本大震災と、その後の原子力災害。
東京電力福島第一原子力発電所が立地する大熊町では、今もなお一部地域は立ち入りが制限され、廃炉の問題など、課題を多く抱えています。
地域を豊かにするはずだった産業がもたらしたものは、目に見えない放射能汚染と、様々な分断、跡形もなくなっていく故郷。
大熊未来塾では、二度とこのような悲しみを繰り返さないため、下記のような活動を行っています。
- 教育旅行の来訪者への語り部やフィールドワーク
- 大熊町民(県内外に避難している方を含む)への聞き書き
- 放射能汚染により立ち入りが制限された地域の維持整備
私たちが当たり前に送る生活は、実は誰かや何かの犠牲の上に成り立つ社会であるということに気づき、その中で、命が大切にされる健全な未来をつくるためにどう生きるのか、ともに考えてみる。
学問の学習をする塾ではなく、答えのない混沌とした現代社会に向き合う力、生きのびる力を身に着けるための場です。
なぜこの課題に取り組むか
伝承やアーカイブが地域の価値を高める
双葉郡沿岸部では、このような話がのこされています。
発災当時、津波の犠牲者の捜索にあたっていた地元の消防団は、原子力発電所が危険な状況のため、人の声が聞こえるにもかかわらず、住民の避難誘導にあたらねばならなかった。
大熊町の福島第一原発から4キロほどで暮らしていた私たち家族も、そうでした。
犠牲者の捜索は困難を極め、震災当時小学校1年生だった次女「汐凪(ゆうな)」の遺骨発見には5年9か月を要しました。今も彼女の体の8割は見つかっていません。
さらに、2014年には、「中間貯蔵施設(※)」に指定され、自宅も捜索現場も含まれました。
(※中間貯蔵施設…除染により発生した土壌等を最終処分するまでの間、安全かつ集中的に貯蔵するための施設。2045年まで大熊町・双葉町で保管される。)
現地では、いまだに津波の痕跡が残る建物や、原子力災害により時間の経過を強く感じられる場があります。また、原子力災害により置き去りにされたかもしれない、汐凪が眠っています。一方で、捜索の現場の目の前の松には、人々が逃げ出したことによって、震災前にはいなかった準絶滅危惧種のミサゴが住み着きました。
ある意味復興から取り残されたこの地域は、だからこそ震災を自分ごととして感じられる貴重な場になっていると考えます。
数百年続いた地域のお祭りや神社仏閣、祠やお地蔵さんなど、この地域の震災前の営みとともに、東日本大震災の教訓を伝承するアーカイブフィールドとして守っていくこと。
それがこの地域の価値を高めるものであり、混沌とした現代社会において、次世代が「生きる力」を身に着ける機会となり、地球を含めた「本当の豊かさ」を問うことのできる町であると確信しています。
社会を劇的に変えることはできなくても、ともに考え、集った人たちが、地球の未来を照らす「小さな灯り」になると信じて。
代表理事 木村紀夫
寄付金の使い道
いただいたご寄付は、活動を継続するための運営費に活用させていただきます。
活動は、立ち入りが制限されている帰還困難区域(15歳未満は立ち入り禁止)内でのガイドが中心で、ガイド料金を提示することが難しい状況です。
また、もう一方で取り組んでいる「聞き書きプロジェクト」は、原子力災害についての聞き書きを主題としています。語りづらさを感じている方とのやりとりがほとんどなため、話し手と聞き手が少しづつ関係を築きながら、時間をかけて丁寧に聞き取りを行っていきたいと考えております。
長期的な避難生活により、避難先への定住が進む中、震災前の地域住民の記憶や思い出が消えてゆく恐れがあると感じています。
活動を存続し、少しでも「生きた証」を地域にのこしていくために、全国からのご支援が必要不可欠です。
皆さまの温かいご支援を、心よりお願い申し上げます。