遊びでつながった子どもの命を守り続けたい

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NPO 日本セラプレイ協会

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NPO法人日本セラプレイ協会

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「せっかく健康な体に産んでもらったのに、こんな体にしてしまった。親に会って謝りたい。」

日本セラプレイ協会が養護施設で支援活動を行っているときに出会った子がいます。

片親に大切に育てられました。しかし、育てていくのが経済的に難しくなり、親は自ら養護施設に足を運び、彼を施設に託しました。

仲間とともに施設で育ち、施設を出た後は必死に自立のために頑張ってきました。

日本セラプレイ協会のメンバーもそんな彼をサポートしながら、自立への道を見守ってきました。

一人で生活するために頑張ってきた彼ですが、ウイルスに感染しその感染によって髄膜炎を発症してしまいました。

仕事もできず収入がない中で、少なくとも髄膜炎の治療のためには最低4ケ月の入院が必要です。今は発熱などの症状と闘いながら、回復に向けて治療を続けています。

その後も感染したウイルスの活動を抑えるために、治療を続けていく必要があります。

そんな中、彼が言ったのが冒頭の言葉です。

健康に生んでもらって、大切に育ててもらったのに、病気になって不健康な体になってしまったことを、謝りたいと言います。

これからも続く治療に立ち向かう気力を、私達に応援させて下さい。

皆様のご協力をお願いいたします。

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■ 私との繋がり

4月末「美和ちゃん、おはよう、久しぶり」1年7か月ぶりに突然連絡が途絶えていたDくんからラインが届いた。

最初の出会いは12年前、被虐待児処遇改善プログラムとして日本で始めて児童養護施設でのセラプレイの実施が決まり、最初の子どもたちの一人として出会った。

当時の彼は小学5年生、週に1度の職員との関係性向上を目的にしたセラプレイのセッションが始まった。明るくいつも笑顔の彼は、2回目の訪問の際、お団子の折り紙を作って「遊んでくれてありがとう」というメッセージを自分のおやつを一つ付けてお礼だと渡してきた。施設は山の中にあり、車で山を降り街に出るという環境。食事や送迎など、物理的に大人が手となり足となる環境の中で養育された。そんな中、自分ができる感謝の気持ちを伝えてくれた。高校生になる頃には、月に1度の訪問ではあったが、数学の宿題を一緒にしたり、部活の話をしてくれたり、ラーメンを一緒に食べるなどいつも必ず顔を出してくれており、夜中までみんなで何をしたわけでもないが大笑いしながら時を共にした。

養護施設中途退所後、初めての外界はどのように映ったのだろうか⋯。しばらくは連絡が無かったが、決められた就職先はあまり長くは続かなかった⋯体調不良⋯。公共料金の支払い方法や銀行の手続きなど、ポストに手紙が来る習慣の無い子にとって、何をどうして良いのか途方にくれていたのかもしれない⋯。誰も信じられなくなり、支援者の訪問にも閉じこもり、私に来たSOSは警察からの夜中の電話だった。

迎えに行き、車に乗ると「どうして美和ちゃん怒らないの?」と聞いてきた。「もう、十分怒られたでしょ、怒られることしたのはわかってるよね?こうするしか無かったんだろうと思っているよ」と言うと。「本当に、ごめんなさい」と言った後「1つだけわがまま言っていい?海、見にいきたい」今まで私に頼みごとなどしたことのない彼からの初めてのお願い。明け方二人で見た海は彼にどんな記憶として映ったのだろう⋯。

再就職を目指し、面接の日の朝訪問。金髪の頭!!急いで薬屋さんに走り黒染め液を購入し、穴を開けたゴミ袋を頭から被せ、急いで髪染め開始!「こういうことがお母さんがいるっていう事なのかな⋯。俺、わかんないからさ。」ポツンと一言⋯

最後に会ったのは、東京の私達の事務所に会いに来てくれた後、1年7か月の間、返事の来ないラインに何度となく連絡を入れたが返事は無かった⋯。

■ 私が彼のために寄付を集めようと思ったきっかけ

4月末から、毎日の様に昼夜問わず彼からメッセージと通話で切れ目なく繋がり始めた。彼の話によると、昨年から体調を崩し、就職していたが、体調不良で機械に頭をぶつけて退職になってしまった。相当体力が弱っている。どこに頼ればよいのか分からず、一人で頑張っている所に、どんな手を差し伸べることが望ましいのか、プライドを傷つけはしないか、遠くの私達より身近な人へのSOSができるように遠くから応援すべきなのか、自立をし始めて数年経つ彼らに今何が必要なのかを見極めるのは非常に心苦しく難しかった。

「この部屋、寒いんだよ」と言ってくれたのでタオルや毛布、綿入れなどを送り。「食べ物がない」と言いおかゆを送った。

「美和ちゃん、このままラインつなげててもいい?美和ちゃんとつながっていると安心するんだよ」と。少し歩くと息切れが起こる、すぐ近くのスーパーに行くのも不安になってきていた。

通話したまま、食料調達のため外出したが、息が荒くなり座り込んだ。「もう無理かも、救急車呼んでいいかな?」途中で動けなくなり救急車を自分で呼んで搬送、会話しながら、ピーポーピーポーという音がしてきた。救急隊員の人から、「入院にはならないだろうから、帰りのタクシー代はあるのか?」と聞かれた。お金がないと初めて不安を吐露した。「大丈夫。入院かどうかの判断をするのはお医者さんだから、とにかく病院に行こう」と説得。病院に到着すると即入院。

保護者ではないが、私の連絡先を主治医に伝えたために、主治医から病状説明をしたいと連絡があり、次の日に彼に伝えずに病院に向かった。何が必要かもわからないが、ぬいぐるみをいつも持っていた彼に、傍にあったぬいぐるみをいくつか持って、病院へ向かった。主治医と話をしているところへ、彼が車椅子を押されながら部屋に入ってきた。

こわばった顔をしながら「こんな形で美和ちゃんに会いたくなかった」と下を向いていた。


最低4ヶ月、もしくは半年以上退院できないとのこと。その日から、病院、MSW,市役所、不動産屋さん、初めてつながる人たちとの作業が一気に始まった。


今まで、公共料金の手続きや銀行の手続きも難しかった彼が、転出・転入⋯していなかった。生活保護も、医療費もなにも、その場に住所が無いと何もできない⋯私達は家族ではない。大きな障害が立ちはだかる中、私達にとっても、初めての様々な手続きの代行がスタートした。

入院費用に関する手続きのため、ゼロからのスタート。


■ 寄付金の使いみち

すぐに帰ってくると思って出た彼の家に行くと、電気は付けたまま、窓も開いたまま、風呂には水が張ったまま。着替えも大変だったようで、抜け殻のように服が部屋においてあった。彼の物は、小さなトランク一つだった。指定のゴミ袋にゴミが入っていたが、指定の曜日や捨て方、捨てる場所がわからなかったのか、重い大きなゴミが6つ台所に置いたままとなっていた。

「友達から、車を買う約束になっていたから、その時捨てようと思って⋯」とのことだった。薄い敷布団をひっくり返すと、驚くほのどカビで真っ黒になっていた。

布団の周りに置かれた荷物をどかすと、小さな箱とビニール袋が出てきた。その中には青と紫の折り鶴が沢山入っており、箱には新しい折り紙が⋯。この部屋で、どんな思いでこの折り紙を一人で折っていたのだろう⋯

今まさに、病と戦っている彼にとって生きる希望を与えたい⋯

誰が悪い、何がいけない、色々な悔しさや、思いはあります。

私達は、彼が生きることを諦めないでほしい。

〒1550032

東京都世田谷区代沢5−17−12アルツァレト代沢105

https://theraplay.or.jp/

Representative:高井美和

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