ひきこもりのための24時間365日やっている居場所を守りたい!

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🌟応援コラム①🌟 山下 耕平 (フリースクール フォロ・NPO法人フォロ)

2025/2/18 11:03

🌟応援コラム①🌟 山下 耕平 (フリースクール フォロ・NPO法人フォロ) Main Visual

(画像:https://x.com/kohei_bokanより)

お金と居場所は相性が悪い。

私のかかわるNPO法人フォロは「いるだけで、いい」 をキャッチコピーとして活動しているが、「いるだけでいい」場所なら、お金の支払いで人を振り分けたくない。しかし、制度的な位置づけのないなかでは、会費をおさめてもらわないと事業が成り立たない。一方で、対価を提供する市場サービスではないので、わかりやすい成果指標にもなじまない。寄付によって成り立っている面も大きいが、事業としては常に不安定だ。とりわけフリースクール事業はスタッフが重要で、スタッフには安心して働いてもらえる場でありたいが、諸矛盾のなかで、低賃金で「やりがい搾取」になってしまっている面がある。土曜日に開いている18歳以上の居場所「なるにわ」や、そこから派生した「づら研」(生きづらさからの当事者研究会)は、参加費300円と敷居は低いが、場をまわしている私自身が諸矛盾を呑み込むことで成り立っている面がある。活動は非営利でも、その活動にかかる費用は市場に支払っているので、運営は矛盾のるつぼになる。その矛盾は参加者とともに考え合いたいと思ってきたが、それぞれが自分のことで精いっぱいだったりすると、思いはあっても実際には難しかったりして、結局は誰かがその矛盾のしわ寄せを引き受けることによって場は成り立っている。

そんな矛盾を抱えて、それでも四半世紀ほど活動してきた。そこまで苦労して何の意味があるのかと問われれば、それはわからない。寄付を集めるにも、意義や意味をアピールしないと集まらないので、意義や意味を訴えることもあるだろうが、運営する側があまり意義や意味を吹聴するのもどうかなと思ったりする。居場所に意義や意味なんてなくていいし、矛盾やもめごともふくめて、そこにかかわる人が醸成しているものが居場所なのだと思う。

それと、無責任なようだが、私は法人の運営にかかわりつつも、何がなんでも事業や組織を続けないといけないとは思っていない。その都度、いろいろ悩みながら試行錯誤はしているものの、どこかでは、なるようになるし、なるようにしかならないと思っている。

市場とは相性の悪い人たちが、市場では評価されないような場を、やむにやまれず生み出しているのが居場所なのではないだろうか。この資本主義社会のなかで、そうした場が続いていくとしたら、その矛盾を引き受ける人たち自身が、キゲンよくいられることが大事だと思う。運営する人が矛盾につぶされてしまっては、本末転倒だ。どうか、無理をしすぎず、なるようになりますように。

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以下、山下さんの文章を拝読して、リレーションハウス管理人も文章をつづらせていただきます。

意味の浅さに抵抗して

その是非は置いておいても、ひきこもりの人は生きることや働くことの「意味」を問うているのだということが、議論されてきた。ニートから脱出して働いていくのに対して、意味はいらない、必要なのはリズムだと経済学者の玄田有史さんは述べたが、それに対して、意味を問う必然性や豊かさを社会学者の石川良子さんは述べた。(石川良子『ひきこもりの<ゴール> 「就労」でもなく「対人関係」でもなく』青弓社, 2007)

リズムは大事だと私も思う。と同時に、当事者の視点を持つ者として、意味も大事だったと言いたい。私自身のひきこもりの当事者性も、意味を問うこととともにあった。その際に、世のなかにあふれるようにみえた、「意味の浅さ」が嫌だった。誰でも納得し共感するような意味の発露に、気持ち悪くなった。東日本大震災後の「絆」とか、某大学のキャッチコピー「人間が大好きです。」とか、見ているだけで嫌だった。障害福祉を扱ったTV番組でも、意味を問うていくことよりも、常識とされて問いの対象にならない意味のもと、大多数の視聴者が共感することが目指されていた。この世のなかで、人と一緒に働いていくときに、意味の問いは邪魔なのだと思った。働くことへの希望が持てなかった。

そういう私が、NPOウィークタイで働いている。給与はもらっていない。だが、チームで一緒に、広い世のなかの誰かに届くことを想定して活動するという点であえて、働いているとここでは述べる。山下さんの文章から思ったことだが、ウィークタイは、人生の意味を問う場でありたいし、同時に意味を忘れる場でありたい。忘れつつ、問う。いつも問うことに疲れた私たちが、リレーションハウスに集まって、一緒にご飯を作って食べたりして、忘れる。しかしふと、みなで話すときに、意味への問いが話題にのぼる。常識を押し付けない。問いをみなで深める。深めない自由もある。ソファーで寝てていい。そういう場でありたい。

クラファンをするとき、居場所の意味を掲げている。意味を問わないし、ときに社会の常識に反する形で問う場を維持したいという意味を、私は掲げたい。世のなかにあふれる「意味」からの解放区としての意味。しかしそれでも、保守的かもしれない。それをさらに破壊するような外部性を、私たちが受け入れられるかはわからない。いや、実はこれまでに何度も失敗している。こうして場所をもって団体を維持する限界かもしれない。山下さんも、なくなってもいいと述べているが、団体の維持を自己目的化するべきではないような気がする。しかし、維持がもたらすよいことはある。そのなかでどこまで意味を深められるか、あるいは忘れられるか。ウィークタイの体制派、保守派の面が私にはある。さらなる意味の深まりや解体は、外部からのまれびとに期待するのか。ほんとは、まれびと襲来は望まないかもしれない。申し訳ない。

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