こんにちは、一般社団法人プラスケアの福島と申します。
私たちは、川崎市中原区を中心に「病気になっても安心して暮らせるまち」を作るため、日常の中で医療者と気軽につながれ、木陰のような場としてあり続ける暮らしの保健室を2017年から運営してきました。
この7年間で延べ2000人以上の方が訪れ、ときに笑い、ときに涙し、生きる力を取り戻していかれました。
今後も低額で気軽に相談が出来る暮らしの保健室を開催し続け、次のステップを作っていくための仲間を募ります。
今回、プラスケアの寄付キャンペーンの目標達成をサポートする「サポートファンディング」という方法で全体目標の910人のうち、私は5人を目指してこのページを立ち上げました。
皆様のご支援は「未来への投資」となります。
ご支援・ご協力のほど、何卒よろしくお願いいたします。
Story
自己紹介
皆さまこんにちは、一般社団法人プラスケアの福島です。
私は臨床心理士・公認心理師というこころの専門資格を持ちながら、普段はコミュニティナースとして暮らしの保健室にいます。
今回は私が暮らしの保健室にどのようにして出会い、どうしてこの活動を続けたいと思っているのかについてお伝えできたらと思います。
はじまりは大学生の時に出会った「グリーフケア」
私は大学生の時、遺児(親と死別した子ども)に対して心のケアを行なっているあしなが育英会に出会いました。
死別を経験した人に起きる心身の症状を「グリーフ」と呼びますが、それをケアするグリーフケアというものをこの時初めて知りました。
あしなが育英会には「レインボーハウス」と呼ばれる、遺児の心のケアを行なう場所があります。
現在5箇所あるレインボーハウスが最初に建設されたのは、1995年の阪神淡路大震災がきっかけでした。
カウンセリングルームや相談室のような場所ではなく、住宅街にあるレインボーハウスの存在が当時心理士を目指す私にとってはとても衝撃的でした。
日常の延長線上に心のケアを受けられる場所が存在していることに感激した私は、東京都にあるレインボーハウスのファシリテーターを募集しているということを知り、すぐに応募しました。
レインボーハウスのファシリテーターを経験していく中で、「私もいつか地域の中で、自分が行きたいと思った時にいつでも行くことのできるグリーフケアの場所を作りたい」という思いが芽生えました。
心理士になって、グリーフケアの現状を知る
臨床心理士を取得した後、私は総合病院に就職しました。
就職した病院は緩和ケアに力を入れており、私も心理士として緩和ケア病棟や緩和ケアチームに携わっていました。
しかしそこで現実を知ることになります。
患者が通院・入院している間は丁寧に行なわれる家族ケアが、患者が亡くなった後はぱったりとなくなってしまうのです。
病院は「患者」でなければ受診できない。
患者でも患者家族でもなくなった家族は、ある日突然、ケアを受ける対象から外れてしまいます。
病気になっても安心して暮らせるまち?
そんなモヤモヤを抱えていた時に出会ったのが「暮らしの保健室」でした。
病気になっても安心して暮らせるまちを目指す暮らしの保健室は、誰でもつながりたい時につながることのできる、日常生活の延長線上に存在していました。
病気になっても、
障害があっても、
学校に行きたくなくても、
仕事に行きたくなくても、
人間関係に悩んでいても、
苦手なことがあっても、
嫌いなことがあっても、
大切な人を亡くしても、安心して暮らせるまち、そんなまちがあったら。
代表である西の考え方に共感した私は、西に対して「私もいつか地域の中で、自分が行きたいと思った時にいつでも行くことのできるグリーフケアの場所を作ることが目標なんです!」と鼻息荒く語っていました。
西はたった一言、「それが本気なら、うちでやってみる?」と。
こうして私の念願だった夢は実現することに。
どんなグリーフも、「あのね…」から話せる場所を
2018年4月、暮らしの保健室のイベントの1つとしてグリーフケアスペースである「あのねの部屋」が開始。
いつ、誰を、どのような理由で亡くしていても来ることができる、そんなお部屋ができました。
四十九日が終わっていなくても、10年以上前のお別れでも、
家族であっても、友人であっても、人には言えないような関係であっても、
事故でも、病気でも、災害でも、自死でも、それ以外でも…どんな人でも来ることができます。
最初は0人だったり1人だったりしたあのねの部屋も、リピーターが増え、部屋のテーブルを囲みきれず、椅子も足りなくなるようになっていき、この場の必要性を感じました。
死別前から出会いたい
総合病院で働きながらあのねの部屋でボランティアをしているうちに、暮らしの保健室の必要性を実感していました。
病気になる前から知り合いで、病気になっても、遺された家族がいても継続的に支えることができる、暮らしの保健室。
大切な人と別れる前から別れた後まで一緒にいられる、そんな存在に私もなりたい。
あのねの部屋を始めて5年目の2022年7月、私は暮らしの保健室で働くことを決め、働いていた総合病院を退職しました。
地域の中で暮らすための選択肢を増やす
暮らしの保健室で働き始めて得た新たな発見は、死別体験をした後にあのねの部屋に通っていた人も、「あのねの部屋に行くほどではないけど、話を聞いてほしい」と希望される方が、一定数いたことでした。
「でも前提として家族を亡くしていることがあるから、その前提を知っている保健室で話したい」という方が多くいらしたのです。
彼らが地域の中で暮らすための選択肢が増えた。そう思いました。
どんな悲しみがあっても、何年経っても一緒に過ごせる場所を
病院に行くほどではない、カウンセリングに行くほどでもない、家族や友人だからこそ言えない。
でも誰かに聞いてほしい、そんな時に「近くに寄ったからコーヒー飲みに来たよ」と来られる場所、それが暮らしの保健室です。
現在暮らしの保健室では、スタッフとして、ボランティアとして、相談者として、家族として、地域住民として、いつか使いたい自分のために…色んな立場から支えてくれる方がいらっしゃいます。
相談にいらした方によく、「こんなにお話を聞いてもらって、こんなに安くて良いんですか?」と質問を受けることがあります。
その時私は必ず、「今この場にはいないけれど、〇〇さんのように相談に来たい方が来られるようにと支援してくださる方がいらっしゃるんですよ」とお返しします。
すると相談にいらした方が、「社会から見捨てられたと思っていたけど、どこかに私を思ってくれる人がいるんだ」ととても安心した顔をされます。
現在、暮らしの保健室を一緒に作るマンスリーサポーターを募集しています。
暮らしの保健室を支えることで、暮らしの保健室のイベントの1つである「あのねの部屋」の開催を支えることにもつながります。
どんな悲しみがあっても、何年経っても一緒にいられる場所を一緒に支えていただけたら嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
良ければ暮らしの保健室を一緒に作るサポーターになってくださったら嬉しいです!
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・年2回「1day暮らしの保健室」の開催権
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