ロヒンギャ難民コミュニティ支援プロジェクトで活躍するメディカルコーディネーターが世界の医療団と出会うまで
2021/12/21 19:03
今回は、世界の医療団でメディカルコーディネーターとして活躍している木田にインタビューしました!
第一弾は木田と世界の医療団との出会い、そしてロヒンギャ難民コミュニティ支援プロジェクトに参加するまでのお話です。
*自己紹介をお願いいたします!
こんにちは。世界の医療団ロヒンギャ難民コミュニティ支援プロジェクトにて、メディカルコーディネーターを担当しております木田と申します。現地では、具体的な活動の立案・実施監理、関係者の能力向上支援を担当しております。
*世界の医療団にジョインする前はどのようなことをされていましたか?
もともとは看護師の資格をもっておりまして、世界の医療団の活動に出会う以前は、国内の病院で約6年程勤めておりました。その中で、ICU・一般病棟での勤務経験もあれば、在院・訪問介護の仕事も経験し、看護師として一通りの実績を積んで参りました。そんな中、昔から海外で働くことへの関心があり、いつかは看護師としての自身のスキルを活かして海外で働きたいと考えておりました。
なぜ、そこまで海外への強い想いがあったかと言うと、まだ看護師を志すずっと前にテレビで見たドキュメンタリー番組でした。それは手足は痩せ細っているのにお腹はぽっこりと出ているアフリカの子どもを映し出したもので、日本では想像できない光景でした。その時からずっと、生まれ持った国や置かれている環境の違いで、理不尽な状況が生じていることに疑問を感じるようになりました。もしかしたら自分がこういった立場であったかもしれない、もしくはこういった状況に陥ってしまうことが今後あるかもしれないと想像した時に、社会に対して自分がどうあるべきかを考えさせられました。
*世界の医療団とはどのような経緯で出会ったのでしょうか?
看護師としての経験を積み、海外で働きたい気持ちが益々強くなってきた頃、思い切って青年海外協力隊の活動に応募しました。その際にラオスでの支援活動へ参加する機会に恵まれ、2年間現地に派遣されていました。そこで初めて、ラオス地域の医療強化プロジェクトを進めていた世界の医療団と出会いました。
*世界の医療団と出会ってからの接点について、もう少しお伺いできますでしょうか?
青年海外協力隊としての任期が迫っていたころ、ちょうど世界の医療団がラオス母子保健医療強化支援プロジェクトで看護師を募集していたのですが、まだもう少しラオスでの活動を続けていきたいと考えていたため、これはチャンスだと感じ、応募させてもらいました。ご縁あって受け入れていただくことができ、そこから更に2年、世界の医療団のスタッフとしてラオスで活動を共にすることができました。
*そこからロヒンギャ難民コミュニティ支援プロジェクトへ携わることになった経緯もお伺いできますでしょうか?
ラオスでの母子保健医療強化支援プロジェクトの期間に合わせて契約を結んでいたため、当時は契約満了と共に一旦世界の医療団での活動も終了となりました。その後、日本へ帰国し、国内で看護師として働いていたのですが、やはり海外で働きたい気持ちが消えず、その道を模索していました。そんな中、2017年のロヒンギャ難民の大規模な流入があった際に、世界の医療団からロヒンギャ難民支援プロジェクトへのお誘いをいただいたのです。前回のラオスでの出会いに続き、深いご縁を感じました。そこから現在に至るまで、ロヒンギャ難民コミュニティ支援プロジェクトにて活動をご一緒しています。
*木田さんにとって世界の医療団とはどのような存在でしょうか?
私個人の話をすれば、世界の医療団は私にとっての”救世主”であると感じています。
先ほどもお話した通り、自分自身が道を見直したタイミングで受け入れてくださったことばかりでしたので!別のNGOで活動していたこともありましたが、世界の医療団は医療系のNGOとなるため、私の看護師としてのアイデンティティとも重なり、目指す方向性にも共感しています。
また、覚悟と意思を持って活動にコミットしている人たちばかりなので、意見交換も頻繁で、やりたいこととできることの両方を体現できているのは、幸せなことだと感じています。
明日は、メディカルコーディネーターという役割についてお伝えさせていただきます!
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