「人生、詰んだ」分娩台で涙したあの日の私に。

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ちっぽけな私も、おおきな私も。

2021/3/22 13:05

ちっぽけな私も、おおきな私も。 Main Visual

前回、「あるがままを受け入れる」この言葉の意味をうわべだけで解釈しちゃうのは危険だよ、ということを書きました。

今思えば昔のわたしは「目の前にある現実はすべて受け入れるべき」と理解していたのだとおもいます。

わたしたちはただでさえ、原因と結果の世界の中で生きています。現実に起きるできごとには、それを引き起こす原因があり、それはすべてつながっているということ。果たして本当にそうなのか、疑うこともしないまま、原因を、理由を見つけようとします。それは「あるがままを受け入れる」世界とはまったく違う。いまの私ならはっきりとそう言えますが、当時はわかりませんでした。

妊娠も、出産も、産後も、心のどこかに自分の理想があって、現実がそれとは違った。何がそれを引き寄せたのかを考えれば、すべてが「わたし」で、わたしが引き起こしたことなんだから、その結果はすべて引き受けるべき。そういう思い込みがあったのだとおもいます。

ほんとうに受け入れるべきだったのは「不本意な現実を受け止めきれない自分」のほう。つらかった、悲しかった、腹が立った、悔しかった、怖かった、苦しかった…その感情を受け入れてあげるべきでした。 

ここまで読んでくださったかたのなかには、不思議におもったかたもいるかもしれません。赤ちゃんの父親の存在がほとんどでてきてないことに。

当然ですが、父親はいます。ちゃんと認知もしてもらい、その後は結婚もし、二人目も授かりました。数年後にお別れしてしまいましたが、その後も離れたところで成長を見守っているとおもいます。

でも、残念なことに、初めての出産・産後のできごとにほとんど彼は入ってきません。それはわたしが、心のどこかで排除していたからだとおもいます。妊娠中のつらかったこと、苦しかったときも、あまり口にはしてませんでした。大切にされたいとおもいながらも、それがうまく表現できなかった。悲しいですね…。今さらながらごめんなさいです。

あれからもう20年も経って、自分でいうのもなんですが、ずいぶんと成熟したなぁとおもいます。子どもという生き物との生活は、予想がつかないことばかりで、笑ったり、泣いたり、怒ったり、もういろんなことがありました。ひとり親としての人生のことも、どこかで書けたらいいなぁ。

ここまでお付き合いくださった皆さん、ほんとうにありがとうございました。さっき「今さらながらごめんなさい」を書いた瞬間に、ぼろぼろと涙がこぼれました。これがずっと言いたかったのかもしれません。

とっても恥ずかしい過去の話をたくさん書きましたが、昔のちっぽけな私も、いまは大好きです。えらいね、頑張ったね、って、おおきな自分で包んであげたいです。



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Representative:山本裕子、中桐昌子

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