和歌山県紀の川市 不動寺の住職 森田良恒様より応援メッセージ
2020/6/15 23:06
1980年に生まれた次女が胆道閉鎖症と診断され仙台東北大学病院で手術しました。
約一年半入院し、その後延べ7つの病院で入退院を繰り返し、1985年5歳になったとき肝硬変で亡くなりました。
この間、多くの難病があること、難病の子どもが多くいること、専門病院が少ないこと、相談機関がないこと、近くに同病の子どもがいないため情報が得られないこと、さらには入院時に付き添いなどで身体を休めるようなリラックスルームや宿泊施設が無いことなど多くの経験をしました。
当時、東北大学病院入院中は妻が病室で付き添うことが出来ましたが、私が代われるときには和歌山県から仙台まで車で行き、ホテルなどでは費用がかさむため夜は車中泊を続けて看病を代わりました。
子どもが亡くなって4年後、子どもの闘病で経験した思いを当事者同士で共有し、ピアカウンセリングとともに行政や国に要請することを目的に、1989年(平成元年)に地域の患者会に呼びかけ和歌山県難病団体連絡協議会を結成しました。
私は20年間会長を務め現在は顧問の立場ですが、在任期間中継続して県に要望したことは、主として「子ども専門病院とペアレンツハウスの設立」でした。
一時は当時の知事と「子ども病院を5年後に設立する」という確約をいただいたものの、結局財政的理由で「子ども保健相談センター」という難病相談支援センターの前身が開所するにとどまりました。当然、私の在任中にはペアレンツハウスも実現することはありませんでした。
このたび、長野県の「笑顔の花」茅房栄美さんが安曇野市で患者家族滞在施設マザーハウスを開所したいという情報に出会いました。
長野県には子ども病院はありますが、県はちがうもののその活動は私が取り組んできたことと趣旨は一にするものであり、茅房さん自身も子どもさんの闘病のなかでご自身が肌で感じ、必要な施設なんだと思われたことは想像に難くありませんでした。
さらに子ども病院での病院ランチデリバリーや災害支援、新型コロナウイルス感染の蔓延では手づくりマスクの提供などその活動は多岐にわたっています。
まさに私自身叶えられなかった活動を実現しようとされていることに加え、当事者に寄り添う活動に感動し、微力ではありますがご支援させていただきたいと思っています。
和歌山県紀の川市 不動寺 住職
和歌山県難病団体連絡協議会 顧問
紀の川市難病患者家族会きほく事務局長
森田 良恒
← Back to all activity reports