活動を続けるわけ その3 〜『私にも何かできることがあれば』から始まった15年
2026/6/8 10:05

東日本大震災の直後、避難所や仮設住宅で女性たちの話を聞いていた時、私たちが強く感じていたことがありました。
それは、「困っている人」として見られている女性たち自身が、本当は「誰かの役に立ちたい」と思っていたことです。
「私にも何かできることがあれば」
「誰かのために動きたい」
そんな言葉を、何度も聞きました。
今回は、当時避難所・仮設住宅支援に従事した代表の石本めぐみと、震災後に宮城へ移住し、南三陸で活動を続けてきた栗林美知子に、当時を振り返ってもらいました。
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―― あの頃、どんなことを感じていましたか?
石本:
当時は、「被災地支援」という言葉がすごく強かった時期でした。でも、実際に話を聞いていると、支援を受けるだけではなく、「自分も何かしたい」と思っている女性たちがたくさんいたんです。
ただ、現実には、子育て、介護、家族のケア、自分自身の生活の立て直しで精一杯でした。
「やりたい」という気持ちがあっても、動き出すための余白や環境がない。そこに、地方で暮らす女性たちの難しさがあると感じていました。
栗林:
「自分のことは後回し」が当たり前になっている人も多かったですよね。
だから最初は、何か大きなことをするというより、「安心して話せる」とか、「ここに来ると少しホッとする」と思える場が、本当に大事だった気がします。
ほんの少し気持ちを話せるだけで、表情が変わる人もいました。
―― そこから今の活動につながっていった?
石本:
そうですね。
最初から、「女性人材バンクをつくろう」とか、「地域の仕組みを変えよう」と考えていたわけではありませんでした。
でも、一人ひとりの声を聞き続ける中で、「学びたい」「働きたい」「地域で何かしたい」という思いが、地方では途中で途切れてしまいやすいことが見えてきたんです。
講座を受けても、その先につながる仕事が少ない。相談できる場所も少ない。子育てやケアを抱えながらだと、挑戦を続けること自体が難しい。
だから、単発の支援ではなく、続いていく関わりや土台が必要なんだと感じるようになりました。
栗林:
参加していた人が、今度は誰かを支える側になっていく姿も増えてきましたよね。
「私なんて」と言っていた人が、地域で活動を始めたり、誰かの相談に乗ったりしている姿を見ると、本当に嬉しいです。
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WEは、最初から今のような活動をしていたわけではありません。
目の前の声に向き合いながら、その時々に必要だと思ったことを、地域の人たちと一緒に少しずつ続けてきました。
女性と女の子の相談事業も、2017年に、地域で相談を受けられる人を育てるところから始めました。今も、地域内外から年間300件以上のさまざまな相談が寄せられています。
また、子育て中のママたちから「つながれる場所がほしい」という声が上がり、地域の母親たちと一緒に「南三陸子そだてハッピープロジェクト」を立ち上げました。対話の場づくりや、町への提案活動も続いています。
さらに、「デジタルスキルを学びたい」という声を受けて調査を行い、2024年からは女性向けデジタル研修もスタートしました。
どれも、最初から制度や予算があったわけではありません。
地域で必要とされているのに、まだ十分に支えが届いていないことを、少しずつ形にしてきた活動です。
そして今、私たちは、女性たちの挑戦が、その場限りで終わらず、次につながっていく流れを地域の中につくろうとしています。
この30日間、WEが地域で見てきたことや、普段は見えにくい活動の裏側も、少しずつお伝えしていきます。
ぜひ、応援していただけたら嬉しいです。
(理事 米倉京香)






