DAY32『エピソード:コロナ禍』
2025/12/18 19:22
エピソード編の2日目。書き出しの自分を戒めるために再掲するが、これまで、団体を説明するということで、団体視点で話してきたことはたくさんあるが、自分視点で語ることはなかったので、自分が感じてきたこと・考えてきたことだけにフォーカスをあてて今日も進める。
- DAY31『エピソード:設立前後』(~2019年)
- DAY32『エピソード:コロナ禍』(2020,21年)
- DAY33『エピソード:助成金』(2022,23年)
このエピソード編書くにあたって、テラエナジー株式会社のファンドレイジングプロジェクトで2023年8月に団体説明したときの年表を見ながら書いている。団体にとって、ああいう年表を残しておくのは必要なことだなと思いつつも、団体だけではなく自分自身の年表も必要だったなと思い、いまFBの2020/21年投稿をざーっと見返している。
ビジコンに出てる、めっちゃnote書いてる、寄付を集めだしてる、気の合う友人と別活動し始めてる、いいとも方式でインタビュー企画してる、創業支援でインキュベーションマネージャーになってる、NPO会計の勉強と修行してる、30日連続投稿してる、准認定ファンドレイザー試験受けてる。プライベートでは長男が卒園・小学校入学、長女が入園。というのがFB投稿が教えてくれたこと。
たぶんこの2020-21年が、人生の中でいちばん意味不明な過ごし方をしていた気がする。これまで以上に広く浅く、来るもの拒まず去る者追わず、自分が自分であることをもがきたいけれど、自分にはオリジナリティもなければ、創造性もかけていて、何者にもなれない、自分の言葉はおそらくいらないんだろうと、思っていた気がする。(今のマインドと全く逆)
「やるって言ってきたから」という言葉をもらい「はい」と答え、「ちなみに何本ですか?」と問いかけ、のちのち判明した結果『江崎グリコさんの液体ミルク4.8万本』の出来事。自分たちは何屋さんになるんだろうなーと思いつつも「なんとかやりきらないといけない」という精神だけでやりきった。よくわからない事態におちいると、適材適所でやりきれるものだなーというのが客観的な感想。正直、当時は何も考えれてなかったし、この先にどんな利益を団体に残せるだろうとすらよぎらなかった。
結果的に、団体は無茶ぶりをしてもなんとかできる・期待値を超えてくる団体だという認識をいろんな人に持ってもらえたと思っていて、それは自分が戦略的に勝ち得たものではなくて、あくまでもたまたまそこにいただけ。だから、点でしか仕事ができていなくて、今の自分ならもっといろいろな視点で動けただろうと思う。シンプルに悔しい。
次に大きな出来事は、参議院会館でやった『多胎ママパパ1000人会議』。行ったこともない議員会館で、会場だけではなくオンラインもつないでハイブリッドなイベントを運営する。そもそもそんな会議見たことも行ったことも運営したこともない、自分が想像できうる準備をして、機材をそろえ、カラオケ屋で問題ないかを確認する。2重にも3重にも予防線をはり、これが使えなかったら最悪これでする、これもだめならあきらめる、、、いろんな準備をしたけど当日うまくいくかわからない。
で当日てんやわんやしている中で、「開会のあいさつを大野さんから」と言われ、本当に何を話したか覚えていないけれど、オンラインのZOOM側には自分のあいさつは音声入ってないという記憶だけ残った。たまたま音声レコーディングをまわしていてそのデータがあったから、アーカイブでは何気なく話している風だけど、裏ではそんなことがあった。失敗したことは記憶にたくさん残っている。
結局ここでも「なんとかやりきるだけ」という思考だから、そこで先につながる何かを得ることができなかった。本当にもったいない。あそこでもっと事前に未来を見据えることができていたら、絶対にもっと加速度的に団体を大きくすることができたはず。これもシンプル悔しい。
たぶんなんだけど、そのとき自分の役割は『守り』だと思っていた。団体の信頼を損なわないようにしなければいけない、期待を裏切ってはいけない。『マイナスにしないことだけ』が唯一できること、いま思えば「らしくない」思考になっていた気がする。ただその中で、自分から動いたことがある。それが『お金の管理』。これも守りの一部として、当時はとらえていたと思うけど、ここが大きな契機のひとつ。
ちょっとずつ助成金・補助金がとれだしてきていた。寄付もあつめようとなっていた。だれかから託されているお金を適切に使いたい、使ったことを適切に報告したい、という考えから、NPO法人会計に出会い、ファンドレイジングという言葉に出会った。そう考えると『守り』の思考にあったからこそ、そこにたどり着いた気がする。どう獲得するかではなく、どう管理するかという視点。
よく団体説明をするときに、コロナ禍が団体にとっての大きな契機。ここに挙げた2つの出来事はいろいろ取り上げてもらえたし、オンラインツールが一般家庭に浸透したことで、認知拡大につながったと話す。けど自分自身としては黒歴史なくらいほんとに何も出来ていなかった。「いやいや、あれもこれも、大野さんいたからでしょ」と言われても、それは受け止められないし、ほんとその言葉は聞きたくない。
けどこの2年があったからこそ、違うステージの自分に歩みを進めることはできた。だから決して無駄ではなかったはず。
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