なんで多胎支援にかかわるようになったのか理屈で説明してみる39歳の39日間

支援先

NPO法人 つなげる

誕生日

11月21日

なんで多胎支援にかかわるようになったのか理屈で説明してみる39歳の39日間の画像
Birthday Ribbonの画像

大野 祐一

支援総額

100,145円

/ 390円

25678%
  • 支援総額

    100,145円

  • 支援者数

    24人

  • 残り

    7日

  • 開始日

  • 終了日

支援する

DAY31『エピソード:設立前後』

2025/12/17 19:02

今日から3日間は少し投稿の雰囲気が変わるけど、この連続投稿を締めくくるにあたって、自分でも過去を振り返る機会にしていこうかと。これまで、団体を説明するということで、団体視点で話してきたことはたくさんあるが、自分視点で語ることはなかったので、おそらく初出しな情報もあるかも。

  • DAY31『エピソード:設立前後』(~2019年)
  • DAY32『エピソード:コロナ禍』(2020,21年)
  • DAY33『エピソード:助成金』(2022,23年)

2009年にコンサル会社に就職して、2011年に結婚、2013年に長男が誕生、2014年に父の会社に転職、2016年に開業届を勢いで出す。というのが「多胎」に出会うまでの自分。とりあえず「コンサル」という響きにあこがれ、就活で自己分析した結果、「やりたいこと」がないから、広く浅くいろんな業界に関われそうだというそれっぽい理由もつけて「コンサル」に。「子どもの運動会で目立てる父親でありたい」という薄っぺらい理由だけで、早く子どもが欲しいと思い、それに準じて早く結婚しなければとなり、同級生の中ではかなり早いタイミングで結婚・子持ちに。

「コンサル」に未練はありつつも、父から思いがけず「戻ってきて継がないか」と言われたことが最終的な決定打になり、転職。2013年当時、東京から静岡まで新幹線通勤してて、上の子が夜泣きをしてても気づかない、いやいま思えば気づこうとしない人間で、生後1週間で1か月間ドイツにいたり、当時のPJは海外案件だったので、これでは「子どもと接する時間がとれない」「パートナーの負担もかなり大きい」「関西に戻って実家近いほうがいい」「なんとか関西に戻りつつコンサル仕事続けられないか」みたいなことを考えていた。そう考えると「自分のキャリア」の優先度を一番下にして、関西に戻ってきた。

とはいうものの、何度過去に戻ったとしても、同じ行動をとっているに違いない(いまの自分を忘れた状態でという前提は必ずつくけれど)。が、この行動・決断が、自分の人生唯一の後悔であることは間違いなくて、2014年~2016年の自分はいい経験をしているとも思うけど、その環境で自分の身を置くことに耐え切れず、飛び出さなければならないと思い、2016年に違うことをはじめようと思った。

そのときに出会ったのが「ふたごじてんしゃ」であり、NPO法人つなげる代表の中原さんである。(2016年10月6日)


正直、何をするかも決めずに個人で何かしたいとか言うてたし、何の実績もなくて、「前職が大手のコンサル会社」「関西でいうとある程度の学歴がある」「なんか話しやすそう」くらいの装備で仕事を取ろうとしてたのだから、今考えると恐ろしい。何よりも、そんな何者かわからない人間を懐にいれた中原さんの決断も客観的に考えると謎。下の子が2016年10月に生まれるタイミングで、2人子どもがいるものの、子育て支援とか自転車とか起業とか経営とか、何かに秀でているわけではなく。けど、最初に声をかけてもらった人に自分ができることはやりきりたいという気持ちだけはあって、いまでもその気持ちは残っている。というか、まだまだやりきったといえる状態に自分がない。

最初に、双子を見ることになるのは、病院か何かの1階で行われていたイベント。何をすればいいかもわからず、柱のそばでただただたたずむ。ひとりで複数の双子ママの対応をする中原さんを見て、このイベント自体の気づきや反省点をまとめるだけしかできず、何かを率先して行動する。コミュニケーションをとることもできない自分。もちろん、文献的な資料・統計情報とかいろんなインプットはしてたけど、そんなものは資料作成の補助的なものにしかすぎず、現場ではなーんにも役立たず。

とはいうものの、2016-2018年まではけっこういろんな試乗イベントに同行させてもらい、それこそたくさんの多胎ママパパたちの声を聴いてきた。とはいっても、自分が直接何かを聞くというよりも、話し声に聞き耳をたてて聴いていた、というのが正しい表現。そして、それに受け答えする中原さんの姿勢と言葉をたくさん見聞きし、それらを吸収してきた。吸収できたからこそ、いまの自分がいる。


「はじめて双子をつれて電車にのりました」という人がどんなイベントにもいる。自転車に乗せるお子さんなのだから、2歳くらいが平均年齢(統計とってないので主観)。その年齢だけど「はじめての電車お出かけ」というのはとても不思議な感覚。うちの上の子は、電車でいろんなところ連れて行ってたし、下の子がいてもそれは変わらなくて、ベビーカーに上の子をのせて、下の子は抱っこ紐みたいなことが多かった。自分と比較したときに「そうじゃない人・それができない人もたくさんいるんだな」ってのがたくさんあった。

そして、試乗イベントで楽しそうな様子はあるけども、「帰るのも大変だし、多胎育児の日常に戻る」ということをイベント終わりに中原さんと話したりしていて、自分が見聞きできている表情や声はあくまでも外向きのもので、家庭内のあれこれはまったく見えない・わからないってのもなんとなく理解したのもここらへんかもしれない。だからこそ、2018年のどこかのタイミング(もしかすると2017年かも)で、「人の支援もしたいから、NPO法人を立ち上げようと思う」と中原さんから告げられ、「いっしょにやらないか?」と問われたときに、何も迷わずに自分にGOを出せたのかもしれない。まぁ、NPO法人が何かもわかってないし、運営が大変だということも知らないし、無知であるがゆえの行動でもあることは付け加えたい。


とまぁ、2018年6月に設立をするわけだが、設立準備で自分がしたことはほとんどなくて。唯一した記憶があるのは、法人名を決めたこと。DAY37で『つなげる』を入れているのでそこで細かく話せればと思うけど、ほんとに設立準備は何もしていない。あらゆることはすべて準備が整っていて、「いいと思います」みたいなことくらいしか言うてなかった気がする。ここは自分自身として話せるエピソードがほんと何もない。

設立の想い・最初に整えた「つなげるピアサポーター養成講座」などなど、もちろんいちばんの理解者であったつもりではあるけど、自分から「こうしたらいいんじゃないか」とかそういう提案は何もなかった。唯一できたことといえば、中原さんの代わりに、団体のことを話すことくらい。それは自分の言葉ではなくて、受け売りの言葉を紡ぐだけ。正直、「多胎育児の問題をどうにかしたい」というよりは「多胎支援をしたい人のちょっとしたお役立ちができれば」くらいの感覚だったのかも。

なので、この時に出会えた人・つながりを持てた人とは、自分らしくコミュニケーションがとれていなくて、いまでも関係性を保てている人は片手で数えられるくらい。要は、2016年に父のもとから飛び出して何もわからない状態のままだったのが、コロナ禍以前の自分。唯一できたことは、「こういう課題がある・こういうことがしたい」という中原さんの言葉を理解すること。でも、この時期があったからこその自分もいる気がしていて、2025年現在の団体に自分が初めて出会っていたら、多胎支援にジョインしていたとは考えづらい。


なので、何もしていない・できないという自覚はありつつも、この2016-2019年の時期も大切だったなといま思う。


← 活動報告一覧へ戻る

https://tsunagerunpo.com/

代表:中原美智子

団体を見つける
  • 社会課題から探す
  • すべての団体から探す
  • キャンペーンを探す
Syncableについて
関連サービス

Syncable Logo Image
© 2021 STYZ Inc.All rights reserved