
宮城晴美さんのお話を直接(今日はzoom越しだったけれど)伺うのは、2023年に宮城さんの生まれ島である座間味のフィールドワーク以来でした。
フィールドワークのときは、座間味の「集団自決」にフォーカスしてのお話しだったのに対し、今日は、軍隊による性暴力について、沖縄戦下での日本軍の性暴力について、「戦後」にアメリカ、日本、沖縄の関係性が絡んで何が起きてきたか、起きているかを、データや資料を示しながらお話しくださいました。
今日特に印象に残ったのは、宮城さんが大学生に講義をした際、120人ほどの学生の半数ほどが、1995年の「米兵3人による少女暴行事件」が性暴力事件だと知らなかった、というお話しでした。その講義がいつ頃のことかはお話しされませんでしたが、メディアの報道のあり方に、視聴者・読者である私たちはもっと注意深くありたいと思いました。
私も「少女暴行事件」といつも言っているなと思います。なぜ性暴力事件と言わなかったのだろう、これからはそう言おうと思います。「強姦」「レイプ」「性暴力事件」ではなく「暴行」「乱暴」「暴力」としたり、「性暴力」「性犯罪」であるのに「いたずら」「痴漢」「のぞき」としたり、という報道姿勢は今も見られます。
講座の前後に、ふぇみゼミのスタッフや運営委員のみなさんのお話しがあり、その中で「保護主義」について触れられていました。例えば、性暴力被害者を「かわいそう」とすることについて(かわいそうだから前面に立たせない、語らせないなど)、もちろんご本人が語れる状況にない場合は論外ですが、被害者だと名乗り出ようという意思決定は尊重されるものだし、そこには加害者と対峙しようという決意も含まれています。被害者を「かわいそう」と「保護」しようとする人の目的を私たちは知ろうとしなければなりません。
「被害者保護」の名のもとで、報道内容を制限したり使う言葉を「ソフト」にしたりする人が守ろうとする「安心・安全」とは何なのか、そうすることで覆い隠されてしまうものが何なのかに、いつも注意を払っていきます。
こんな風にふぇみゼミの講座に参加すると、何かしら自分自身の言動が引き出されます。それは講師や運営委員、スタッフのみなさんのお話し、場づくりにエンパワーメントされるからだと思います。この感じを自分自身の周りにも広めていきたいなーと思う気持ちも、今年のバースデードネーションに込めています!関心持ってくださる方が増えたらうれしいです💛
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