私たちの取り組む課題
ハンセン病という病気を知っていますか?か。
ハンセン病は「らい菌」という細菌がおこす慢性の感染症です。病名は1873年にらい菌を発見したノルウェーの医師アルマウェル・ハンセンの名前に由来します。
ハンセン病は発病すると、皮膚と末梢神経が侵され、皮膚の病変や知覚まひがもたらされます。第二次世界大戦後には適切な治療法が開発され普及し、ハンセン病は早期発見・早期治療により後遺症を残すことなく完治できるようになりました。
そもそも、らい菌の病原性は極めて低く感染したとしても人間の免疫力によって簡単に排除されてしまうため発病に至ることは非常にまれです。その証拠として日本のハンセン病療養所の医師や職員がハンセン病を発病した例はありません。さらに、人間のらい菌に対する免疫力は社会の経済状態が向上することによって高まるため、国が経済的に発展することによって自然に消滅する病気であることが知られています。したがって、こんにちの日本を含む先進国では新たな発病を見ることがほとんどできません。
現在、日本のハンセン病療養所にはハンセン病の治療を受けている方はおられません。有効な治療薬が開発される前の症状を後遺症として持つ障がい者の方々です。
日本のハンセン病患者隔離政策
日本ではとりわけ第二次世界大戦後に国際社会からの度重なる非難にもかかわらず1907年制定の「癩(らい)予防ニ関スル件」を起点とし、1996年に「らい予防法」が廃止されるまでの約90年間に渡りハンセン病患者をハンセン病療養所に隔離する政策がとられました。戦前戦後に国はハンセン病を「感染力の強い恐ろしい伝染病」と誤った形で社会に伝え、国民の不安をあおり、官民をあげた「無らい県運動」が展開され、ハンセン病患者を家族や地域、社会から療養所へ隔離しました。隔離の過程で居宅が真っ白になるまで消毒されたという事例もあり、ハンセン病に対する偏見は地域や社会全体に広まりました。
家族や地域、社会との繋がりを断たれ療養所に隔離されたハンセン病患者ですが、療養所内では療養に専念することは許されませんでした。「患者作業」と呼ばれる作業の一環で土木作業に従事し、足の裏に出来た傷に気づかず足を切断することになった方もいました。また、療養所内での結婚は認められていましたが、その条件は違法合法を問わない断種と堕胎を入所者が受け入れることでした。更に、隔離を定めた法律には療養所からの退所に関する規定が設けられていませんでした。日本国憲法が施行された戦後もハンセン病療養所内では入所者に対する人権侵害が行われていました。
2001年「らい予防法違憲国家賠償訴訟」にて熊本地裁は「遅くとも昭和35(1960)年には「らい予防法」の隔離規定はその合法性を支える根拠を全く欠く状況に至っており、その違憲性は明白となっていた」とし、当時の厚生省及び国会に対して国家賠償法上の違法性を認定する判決を下しました。国はこの判決に対する控訴を断念し、判決は確定しました。
なぜこの課題に取り組むか
「未来につなげたい、大切な記憶」をモノで語り継ぐために
2001年「らい予防法違憲国家賠償訴訟」熊本地裁判決確定以降、ハンセン病問題への社会の関心は格段に高まりました。多くの方々がハンセン病療養所を訪れ、療養所内に存在する隔離の歴史を物語る歴史的建造物や資料に触れ、療養所入所者(元ハンセン病患者)の方々から直接、療養所内での過酷な生活や社会からの偏見・差別の体験を聞かれています。
しかしながら、ハンセン病療養所入所者の平均年齢は85歳を超え、近い将来、これらの歴史を直接的な体験者として証言できる方が存在しなくなることが予想されます。諸外国の中には元患者の子孫がこれらの歴史を語り継いでいる例がありますが、日本の隔離政策が療養所内で子どもを産み育てることを許さなかったため、このような第二世代・第三世代による歴史の承継は困難です。
-ハンセン病に対する偏見と差別を生み出した日本のハンセン病患者隔離政策と療養所の歴史を後世に正しく伝えたい、私たちの生きた証を残したい-
私たちはこのような国立療養所長島愛生園、邑久光明園(岡山県瀬戸内市)及び大島青松園(香川県高松市)入所者の方々の声を契機として、歴史的建造物や記録物というモノを通じてこれらの歴史を語り継ぐべく2018年1月に成立したNPO法人です。
モノを残す意義
・歴史の証明を継承する
・モノに関わった、託された思いを伝承する
具体的なモノ
・国策としてのハンセン病患者隔離政策の歴史
・療養所入所者の人間としての強さとレジリエンス(回復力)の証明
モノの残し方
・ユネスコ世界文化遺産(建造物や土地が対象)
・ユネスコ世界の記憶(世界記憶遺産)(歴史的記録物が対象)
モノを残す目的
・ハンセン病元患者の方々の真の名誉回復を図る
・継承されるモノを偏見と差別のない未来への礎(モニュメント)とする
ハンセン病に関するモノを世界遺産として継承し、世界中の人々が抱える様々な偏見・差別の解消につなげます。インクルーシブな未来を創造するために、忘れてはならない過去の教訓として。
寄付金の使い道
以下の特定非営利活動事業を実施する資金とさせていただきます。
1ユネスコ世界文化遺産及び世界の記憶登録に向けた学術調査事業
2018年度事業として「それぞれの登録に向けたロードマップ(2019年度~2021年度)」を作成しました。2019年度以降はこのロードマップに基づき学術調査を実施します。世界文化遺産については、国内暫定リスト入りを目指す上で必要な資産の「顕著な普遍的価値(Outstanding Universal Value)」の証明と文化財保護法等による法的保護の方向性を示します。世界の記憶については、申請書を作成する上で必要な事項の調査研究を進めます。また、研究者等の方々による講演会を開催し法人会員以外の方々にも私どもの取り組みに触れていただく機会を提供していきます。
2 歴史的建造物・史跡等を保存し、人権教育の場を提供する事業
これまでも療養所見学者の方々には不動産というモノが語りかける力を感じていただいております。学校教育、社会教育の学びの場としてのハンセン病療養所のプレゼンス向上に努める事業を展開します。
3 ユネスコ世界文化遺産及び世界の記憶登録に向けた啓発交流推進事業
2018年度には法人のロゴマークとキャッチフレーズを公募し国内外から500点を超える応募をいただき、それぞれ最優秀賞1点を採用しました。本土と2つのハンセン病療養所がある岡山県瀬戸内市長島をつなぐ「邑久長島大橋」が開通30周年を迎えたことを記念するシンポジウムを開催しました。岡山県内で開催されるチャリティークラシックカーラリー「ヴェッキオ・バンビーノ」のチェックポイントが長島に開設されました。今後の学術調査やPRパンフレット等への活用を目的として長島全体の空撮と歴史的建造物等の撮影を行いました。2019年度以降も多くの方々にハンセン病療養所とその歴史に触れていただけるきっかけとなる多様なコンテンツを含んだ事業を展開します。
4 登録に向けた国際的な取り組みを推進する事業
ハンセン病に関する歴史を保存継承しようとする取り組みは国際的にも各国別に行われています。世界文化遺産登録を目指すマレーシアのスンゲイブロー療養所は、2019年2月にマレーシアの国内暫定リストに登録されました。フィリピンのクリオン療養所が所有する歴史的記録物は2018年5月にアジア・太平洋「世界の記憶」に登録されました。とりわけ世界文化遺産登録を目指す上では国際的な類似資産の比較研究が欠かせませんので、これまで有しきた海外関係者との連携を更に強化していきます。
5 ハンセン病患者に対する隔離政策の歴史を地域の歴史として検証する事業
島の療養所へ隔離されるハンセン病患者の方々を直接見聞し、これらの歴史を療養所に隣接する本土側の地域として体感してきた人々にも療養所入所者同様、高齢化の波が容赦なく押し寄せています。しかしながら、これらの歴史を療養所のみではなくその周辺地域を含めた歴史として学術的に検証する作業は未だ実践されていません。長島を擁する岡山県瀬戸内市邑久町の裳掛(もかけ)地区からは本法人に2人の市民の方々が本法人の理事に就任し、地元市民の視点から療養所の歴史継承に参画しています。ハンセン病に向けられた偏見と差別は地域にどのような影響を与えてきたのか-療養所入所者と地元市民の協働による学術調査(アンケート、聞き取り、報告書の作成と公表)を研究者の方々と共に実施していきます。
6 その他、法人の目的を達成するために必要な事業
2018年度には法人役員等による講演会を岡山県内外で30回開催し、合計3100人の方々にご参加いただきました。2019年度以降も継続して開催します。また、2019年度以降には法人PRと財源確保を目的とした啓発グッズの開発と販売を行います。持っていることを思わず誰かに話したくなる、そんなグッズの販売を通じて私どもの取り組みに共感いただければと思います。
写真提供:長島愛生園歴史館
写真撮影:写真家 西 岳海