私たちの取り組む課題



2025年は50年に一度のご本尊のご開帳の年
(あの源頼朝も必勝祈願したご本尊)
この毘沙門堂及び、管理寺の国清寺自体にも檀家は無く、毘沙門堂・毘沙門天像の保存、及び毎年の行事運営等々は、この地域の寄付と地元の人たちの代々にわたるボランティアにより実施してきています。前回の大開帳では、本堂や石段の改修や仁王像の調査・改修などが行われ、盛大にご開帳が行われました。
しかしそれから50年が経過し、本堂を始めとして各所に傷みが進行してまいりました。特に昨年夏の強風の折に、境内の大木の枝が折れて落下し本堂の屋根を損傷しております。この修理は早急に行わなければなりません。また、その他にも、堂内の40畳ほどある畳の表替え、本堂屋根の塗り替え等は最低限やらなければならないことです。これだけでも数百万円余かかると見積もられています。また式典費用、及び50年先を考えると、石段の改修、電気配線・機器改修工事や本堂・仁王門の建物を損傷しそうな周辺大木の枝伐採などに膨大な費用がかかることが予想されます。
昨今の経済・社会状況により地元だけではこれらの維持管理が難しくなってきております。この歴史的ある文化財を継承し、広く皆様と共有していくためにもこのご趣旨をご理解を頂き、是非ご浄財を賜わりたく宜しくお願い致します。
なぜこの課題に取り組むか



毘沙門天大開帳ご喜捨(ご寄附)趣意書
2025年伊豆の国市奈古谷毘沙門堂は、50年に一度のご本尊の大開帳の年を迎えます。
このご本尊は、平安時代の初期、天台宗の高僧慈覚大師(794~864)が唐に渡り修行(838~847)され、帰朝した後に衆生済度の一大悲願を込めてご自作されたと言われています。当院はもと安養浄土院(通称奈古谷寺)と呼ばれ、千年以上の歴史が有あるわけです。その後、承安3年(1173)高雄上人(文覚上人)が、この地に流された源頼朝に源氏再興を進めた地であるとされています。その後頼朝が大願成就をなし得た後、文覚上人に命じ多門堂(毘沙門堂)を建てさせたと、『筥根山縁起并序』(建久二年=1192)には記されています。
また参道には仁王門が残されており、その中に二体の金剛力士像が収められております。この金剛力士像も頼朝が運慶親子に命じて彫刻させ奉納したとの言い伝えが有ります。この貴重な文化遺産の維持保全は、全て地元・地域の寄付と、代々にわたるボランティアで行われてきました。
昭和五十年(1975)の大開帳の時にはこの金剛力士像の修復事業も行い、その折その内部から享保八年 (1723) に修復された事を記す墨書が発見されました。前回の大開帳においては金剛力士像の修復に加えて、本堂、並びに、参道・石段の整備、お手水舎の設置、記念塔の建立など、盛大な大開帳事業が行われました。今回についても地元のボランティアで組織する「毘沙門天運営奉賛会」が主体でこの事業を行いますが、その費用については皆様のご喜捨(寄付)に頼らざるを得ないところです。
前回の大開帳から50年が経過し本堂を始めとして各所に傷みが進行してまいりました。ご浄財をもとに大開帳を挙行し皆様の授福和合を記念するとともに、これらの文化財の補修などの保存処置を行ってまいりたいと思います。
ご開帳HP:https://event-fourseason.wixsite.com/nagoyaku
寄付金の使い道



<大開帳事業の概要>(ご寄附は全て下記に使われます)
*式典
日時;令和7年9月14日(日)(時刻等未定)
場所:伊豆の国市奈古谷毘沙門堂本堂ならびに境内
(詳細決定し次第HPで開示致します。)
*改修・保全事業
1、本堂屋根損傷の修復(令和6年台風の被害箇所)
2、本堂畳の表替え
3、本堂屋根の塗り替え
4、本堂内蛍光灯のLED化
5、本堂・仁王門周辺の大木の枝の伐採
6、参道・石段の修理 等
(寄付総額により事業規模を決定します。)
*ご開帳の周知、広報
HPの作成、新聞・地域のコミュニティ雑誌への掲載等
御 礼
ご喜捨頂いた方には、毘沙門天御祈祷による護符(お札)ご朱印などをご喜捨の額により組み合わせてをお送りいたします。