不屈の闘士、ライハン・アリさん
2022/5/2 15:45
タナパラ・スワローズの代表を務めるライハン・アリさん。
今回のスワローズ小学校の再出発を支援するにあたり、みなさんにぜひともライハンさんの想いを伝えたいと、ライハンさんの写真を載せようとしたのですが、笑顔の写真が見当たりません。4月24日のオンラインイベントに登壇の際も、ビデオ越しの表情はこわばったまま。
実はライハンさんは11年前に脳梗塞で倒れ、左半身に麻痺が残りました。地道なリハビリを続け現在は日常生活に支障がないまでに回復しましたが、緊張して話すときの表情はどうしてもこわばりがち。みなさんに、ライハンさんの素敵な笑顔をお見せできなかったのが心残りでした。ビデオの収録が終わって雑談になったとき、ようやく笑顔を見せてくれたので、ここでやっとご紹介できます。
もうひとつ、時間の都合で残念ながらお伝えできなかったエピソードがあります。
オンラインイベントに向けたリハーサルの際、タナパラ・スワローズの歴史を紹介するくだりで、ライハンさんはご自身の体験を詳しく語ってくれました。
イベントでもお話されたとおり、1971年の独立戦争の際、タナパラ村を襲った西パキスタンの軍隊に、村の男性100人が殺されました。当時13歳だったライハンさんは、あやうく難を逃れたものの、そのいきさつを目の当たりにしたのです。
「襲撃を恐れて村人達はパドマ川の河原に避難していました。そこに軍隊がやってきて、集まっていた村人達に男女のグループに分かれるよう指示したのです」
「私は男性グループにいましたが、軍人が私の腕を引っ張って女性グループのほうに移動させました。女性達は先に村に帰るよう指示され、男性達が河原に残されました」
「村に戻った私達は、河原で男性達が殺されたことを知ったのです」
奇跡的に生き残ったライハンさん。
夫を失った姉が家計を支えるために研修を受けて働き始めた生産工房を訪ねるうち、自らもプロジェクトに関わりたいと考えるようになり、18歳のときタナパラ・スワローズで仕事を始めます。
以来46年間、ライハンさんの人生はタナパラ・スワローズと共にありました。
過酷な体験を乗り越えてきたライハンさんは、穏やかな語り口からは想像できない強い意思と情熱を持っています。
一度は閉校を決めた小学校を、「子ども達の教育は、彼ら自身の人生にも、村の将来にとっても大切」と存続を決意したライハンさん。
村の人たちみんなの幸せを願う強い気持ちと、目の前の困難に負けない行動力で、規模を縮小して質の高い教育を提供する学校として再出発したいというライハンさんの願いをなんとしても実現させ、子ども達の世代へと引き継がれてゆくよう応援し続けたいと、私自身も想いを深めました。
この学校の運営を資金面で支えていきたく、一人でも多くのみなさまのご協力をお願いいたします。
グローバル・ヴィレッジ代表
胤森なお子
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