Story
はじめに
今朝、maaaru支援校の一つでもあり
スリランカの貧しい地域で22年幼稚園を運営する
Ruchilaさんから幼稚園が洪水で被災してるという知らせが届きました。
すぐに現地のRuchilaさん電話をすると、涙ながらに
園舎周辺は水没し、教材・衣類・生活用品の多くが流されており辺りは停電もしているため、子どもたちの安全確認が難しい状況が続いている。でも、なんとか出来ることを頑張っています。
との言葉に、何も返すことが出来ませんでした。

こんにちは、深澤季恵です。
私は3年前、いち支援者として maaaru に出会い、大きく人生が変わりました。
今年からは maaaru の統括として、運営メンバーと共に活動しています。
それまでは「自分の周りの人たちの未来の選択肢が一つでも増えたら」という思いで事業を続けてきましたが、maaaru を通して“世界”という視野に出会い、今は
「世界中に選択肢を創る」
というコンセプトを軸に、営利事業だけでなく国内外の社会支援にも取り組んでいます。
生まれた環境や場所に関わらず、大人も子どもも、日本でも海外でも
誰もが“未来の選択肢”を増やしていくこと
そんな瞬間を一つでも一緒に創っていきたい、という思いで日々活動をしています。
スリランカと日本の“知られざる恩の歴史”
3年前に maaaru の活動を通して知ったことの一つとして
スリランカという国と日本の深い関係
があります。
私はこのことをその時に初めて知り、そこからスリランカは私にとって特別な国の一つになりました。
1951年、サンフランシスコ講和会議。
世界の多くが敗戦国日本に厳しい処分を求める中、スリランカ代表として登壇した ジャヤワルダナ氏(後の大統領) は、仏教の慈悲の精神を引用しながら、こう述べました。
「日本を罰しても、世界は前に進まない」
このスピーチは大きな衝撃を呼び、日本が国際社会に復帰する流れを強く後押ししたと言われています。
もしこの後押しがなければ、
日本はさらに厳しい状況に置かれ、復興も大きく遅れていたかもしれません。
この歴史を知ったとき、
「こんなにも大切なことを知らずに生きてきたなんて…」
という衝撃と同時に、
“このスリランカからいただいた恩を、私自身も何か未来へ返したい” という気持ちが生まれました。
スリランカと繋がるRuchilaさんとの出会い
そこに今年、スリランカと繋がったご縁。
それが、今回連絡をくれた スリランカで22年間、たった一人で幼稚園を運営し続けている Ruchila さん です。
出会ってすぐ、私はスリランカに会いに行きました。
そこで初めて、彼女が 日本の奨学金によって人生が開けた方 であり、今は逆に “自分が子どもたちの未来を支える側” として立ち続けていることを知りました。
その事実を知ってから、スリランカと彼女の活動への想いはさらに深くなりました。
そんな彼女から今朝入ったのが、スリランカで発生したサイクロンの影響による深刻な洪水被害が、彼女が一人で切り盛りする幼稚園にも大きく及んでいるということ。

すぐに電話をかけると、園舎周辺は水没し、教材・衣類・生活用品の多くが流されていて、子どもたちの安全確認が難しい状況が続いてると涙ぐんだ声で話されていました。
何も出来ない無力さだけを感じながら、それでも「Kieさんの声が聞けてよかった」と言ってくれるRuchilaさんに、何か一つでも出来ることがないかと考えたのが今回の企画です。
そして今回届いたメッセージは、決して「助けてください」という言葉ではありませんでした。
普段から、Ruchilaさんとやり取りをしていると、
彼女が本当に大切にしているのは “誰かが一緒に進んでくれていること” なのでは、と感じています。
22年間、誰にも頼らずひとりで走り続けてきた彼女にとって、
「応援してくれる誰かがいる」
という事実そのものが支えになっているのではないかな?と。
現実として、悲惨な状況になっていることは紛れも無い事実ではありますが、
出来れば今回の支援を通して、「応援してくれてる日本の人たち」がいることを
少しでもRuchilaさんに届けることが出来たらいいなと思っています。
Ruchilaさんと日本の関係
少しだけ、ここで彼女の紹介をさせてください。
彼女は、スリランカの貧しい家庭で育ち、学校に通うお金もありませんでした。
しかし勉強が大好きで、常に試験では1番。
それでも学費が払えず悩んでいた時、日本の里親制度の奨学金を受ける機会を得ます。
その奨学金で制服や文具を揃え、学び続けることができました。
彼女はその日本の里親さんから送られた手紙をどうしても日本語で読みたい、という思いから独学で日本語を学び、日本語能力試験2級に合格します。
その後、さらに奨学金を得て日本へ留学することになり、帰国後は、スリランカにある身延山別院で事務長として10年間勤務しました。
長距離通勤と子育ての両立の中で体力的限界を迎えますが、退職金を元手に、
「子どもたちに学びの場を作りたい」 と今の貧しい地域に幼稚園を設立。(今回水没被害に遭っている幼稚園です。)
最初は日本からの支援があったそうですが、住職の逝去とともに支援はほとんど途絶えてしまい
それでも
「日本とスリランカの国旗を掲げた以上、一生懸命やるしかない」
と一人で幼稚園を守り続け、幼稚園の子供達が学びの機会を失わないように低価格で提供します。
それを補うためにRuchilaさんは日本語学校も開校し、幼稚園の休みの日にRuchilaさんが先生として立ち幼稚園の運営費に回しています。
22年間素晴らしい活動を続け、現在では“スリランカで最も信頼される幼稚園・日本語学校のひとつ”として、近隣の方だけでなく、遠くからも生徒が通う幼稚園に成長しています。
■ なぜ今回、1/100maaaruとして支援するのか
maaaruはこれまでに 30カ国以上・250校を超える学校支援 を届けてきました。
「正解の丸」
「上も下もない世界中を争いのない円にしたい」
「そして本来の地球の形を取り戻したい」
そんな想いが込められた『maaaru』という名前は、
日本の『平和』を基調とした利他の精神を他の国にもっと広めたい
という想いから日本語のネーミングとなっています。
maaaruは元々 1校=100万円の単位で、教育の“ハード”を支援する プロジェクトです。
今回の Ruchila さんの幼稚園もその採択校のひとつで、
ちょうど 子どもたちの安全のための塀の建設が始まったタイミング でした。
この写真は、まさに着工の直前に届いたものです。

しかし今、この場所は水没し、建設箇所の状況もまだ確認できていません。
そして幼稚園の周辺は、現在はこのような厳しい状況にあります。

■ maaaruは「縁をつなぐ支援」
maaaruでは、1校につき1人(または1組)の支援者がつき、縁を深めながら支援を続ける という仕組みを採用しています。
これまでにも、支援者さんが支援校を直接訪問し、子どもたちと笑顔で迎え合う “縁がつながる瞬間” を何度も見てきました。
そしてこれは、これからも大切に続けていきたいmaaaruの原点の一つです。
一方で、私自身は今年から運営に入り、“この縁をつづけるための新しい仕組み” をつくれないかと模索してきました。
そんな時に起きた今回の災害。
状況も十分に把握できない中で、それでも前を向いて子どもたちを守ろうとしている Ruchila さんに触れて、
私たちも「今できること」を一緒に形にしたいと感じました。
そこで今回は、
支援校を“みんなで守る”という、新しいmaaaruの形 として
1/100maaaruでの緊急企画を立ち上げることにしました。
どんなかたちの応援でも構いません。
ひとりひとりの小さなアクションが集まることで、子どもたちの未来を守る“円”が生まれます。
この新しい循環を、皆さんと一緒に創らせていただけたら嬉しく思います。
maaaruを運営することで見えてきた「支援の現実」
今年から運営に深く関わる中で、痛いほど感じることがあります。
・日本の「当たり前」は世界では当たり前ではないこと
・支援が必要な地域ほど、さまざまな理由で“届けたくても届けられない”こと
・だからこそ 現地で動き、確実に届けてくれる人の存在が絶対に必要 なこと
それは“寄付を集める”というだけでは到底成り立ちません。
支援が進みかけても、
政府の急な方針転換によって一時的にストップしたり、
雨季や自然災害で現場が動けなくなることもあります。
また、言語や価値観の違いから、
ひとつひとつ丁寧な確認が必要で、決してスムーズとは言えません。
けれど、これらは決して「マイナス」ではありません。
むしろその過程で
・日本にある“当たり前”の尊さを改めて知る
・現地の人たちの強さと誠実さに触れる
そんな大切な気づきを受け取らせてもらうことも多い。
だからこそ
「確実に届ける」ために必要なのは
日本からの温かい支援と
現地で動いてくれる信頼できる人の存在。
この2つがそろって初めて、支援は“一方通行”ではなく
循環が生まれます。
私がmaaaruを通して大切にしてきた価値のひとつがこの循環。
今回はその循環として、採択校を“みんなで守る”という新しいmaaaruの形の一つでみなさまと実現出来れば嬉しいです。
そしてもうひとつ——「日本からスリランカへの恩返し」
1951年、 ジャヤワルダナ氏のスピーチが日本の未来を大きく変えてくれたあの日から
スリランカと日本には、目には見えない“円のつながり”が続いているのではないかと思っています。
誰かが誰かに手を差し伸べ、その想いが巡り、また未来へ返っていく
円(maaaru)の循環
そして、この循環を広げてくださっているのは、
maaaruに関心を寄せてくださる皆さんです。
maaaruに関心を寄せてくださったり
優しい気持ちで読んでくださったり
SNSでシェアしてくださったり
様々な形で関わってくださったり
そのすべてが「円を広げる支援」そのもの です。
もちろん、困難は海外だけでなく、日本にもたくさんあります。
だからこそ今回お伝えしたいのは、
「大変だから助けてほしい」ということではなく、
“つながり””循環”を未来へつなぐ小さな一歩に、あなたも一緒に関われる
ということ。
私自身、活動を続ける中で、誰かのために差し伸べたように見える手も
巡り巡って、自分の未来の可能性をそっと広げてくれる瞬間を何度も感じてきました。
今回の支援が
スリランカの子どもたちにとっての希望になるだけでなく
読んでくださったあなた自身の “新しい一歩” にもなれば嬉しいです。
そして、欲をいってよければ私、個人としては
「応援してくれている日本の人たちがいる」
という事実を Ruchila さんに届けられたら、嬉しいなと思います。
寄付の使い道(予定)
お預かりしたご支援は、状況が明らかになったのちに現地と相談して以下のようなものに充てさせて頂きます。
- 現在建設中の塀の再工事
- 洪水で流された教材・文具・教材棚などの購入
- 園児の衣類、生活用品の補填
- 園舎の修繕(床・壁・備品の補修など)
- 現地への緊急物資支援
※すべて現地確認後、優先度の高いものから順に使用します。
※費用の使用明細は後日ご報告いたします。
※状況を鑑みて一定の金額を超える分は別のmaaaru支援校に充てさせて頂く場合がございます。
最後に
スリランカは、かつて日本の未来を信じて背中を押してくれた国です。
そして今、その国で日本の奨学金に育てられた一人の女性が、 子どもたちの未来を守り続けています。
今回の災害は、その未来を大きく変えてしまう可能性があります。
実は、12月に「幼稚園の卒園式があるから、参加して欲しい」とRuchilaさんから随分前からお声をかけて頂いており、この幼稚園を訪問する予定をしておりました。

Ruchilaさんからのメッセージ
現地の安全を確認しながら出来ることがあれば、予定通り現地へ足を運ぼうと考えています。
仮に渡航出来なかったとしても、今回集めた支援の状況はしっかりと報告させていただくと共に、落ち着いた時にみんなでスリランカにRuchilaさんに会いに行くツアーを開催して、みなさんにどんな形で届いたのかを見届けて頂ければと思います。
どんな形でも構いません。
もし少しでも力を合わせていただけたら、
その“想い”そのものが、Ruchilaさんや子どもたちにとって大きな支えになります。
ご支援・応援をどうかよろしくお願いいたします。

皆さまからいただく寄付を通じて、途上国における教育支援事業を実施しています。このため、寄付金の一部を運営費として利用させていただく必要があります。
運営費は、事務所の維持管理費や業務委託など、活動を行う上で必要な費用に充てられます。ただし、皆様からいただいた寄付金をできるだけ効率的かつ透明性の高い方法で活用することを目指しており、運営費の割合は最小限にとどめ、20%を目安に利用させていただく予定です。
また、1maaaruのご支援をいただく場合は、支援者様と支援校のマッチングには、条件・時期の調整により約1年のお時間をいただく場合がございます。この旨を了承のうえ、ご寄付にご賛同ください。
支援事業開始後、支援事業地における自然災害や紛争等の事由等により、やむを得ず事業の実施を中止せざるを得ない場合には、速やかにご連絡するとともに、お預かりした支援金は、支援者のご意向を極力尊重しつつ、
当法人が実施する他の支援事業のために使用させて頂きます。支援金の返金は致しかねますことをご了承ください。
皆様からいただいた寄付金は、途上国における教育支援事業に活かされ、より良い社会を実現するための活動に役立てられます。何卒、温かいご支援を賜りますようお願い申し上げます。
なお、こちらのプロジェクトではスリランカの学校へのご寄付を中心に集めておりますが、一定数以上の金額につきましては、上記内容含め、別の必要とされる国への支援とさせて頂く場合がございます。あらかじめご了承頂けますと幸いです。

