ラストメッセージ:みなと計画誕生秘話
2020/3/1 12:26
こんにちは。みなと計画の橋本です。
1月27日よりスタートしました、当キャンペーンは、昨日終了しました。
目標50名に対して、57名もの新たなマンスリークルーを、お迎えすることとなりました。
ご搭乗下さった皆さんはもちろん、情報のシェアなど、様々な方法でエールを送って下さった全ての方に、心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました!
さて、みなと計画の構想は、2016年12月に公表をしましたが、ここに至るきっかけになった出来事を、ラストメッセージとして書き残しておきたいと思います。
きっかけは、お世話になっていた若者の失踪
地域の若者と地域を結ぶHUBになろうと、2013年7月にcommunity HUB 江別港を、江別市内の大麻銀座商店街に立ち上げました。空き店舗を一棟借り上げ、関わりのあった大学生ボランティアを中心とした若者と手作りで改装しました。その時に、ひときわ頑張ってお手伝いをして下さった若者がいました。
その若者は、江別港が始まってからも、江別港や市内外のさまざまな活動に参加をし、お手伝いをして下さいました。
ところがある日、突然音信不通となりました。友人も、大学関係者も消息をつかめないまま日がたち、とりあえず実家に戻っていることは分かりました。
とはいえ、これだけ積極的に様々な活動に関わり、将来の夢を語っていた若者が、なぜ突然に? の思いが消えず、余計なおせっかいと思いながらも、実家を訪ねることにしました。
連絡が取れないので、飛込み訪問でしたが、生憎の不在。このまま帰るか戻るまで待つか、考えた末に、その場で書いた手紙を投函することにしました。「これ、完全にストーカーだ……」と思いながら。
大きなショックから、みなと計画へ
それから間もなく、その若者が江別に戻って来ました。家庭の経済的事情により、実家に戻る判断をしたこと、人に相談をするのが苦手で誰にも言えなかったこと、なにも無くなったと思っていたが手紙を見てもう一度江別に戻ろうと思ったことを、お話しして下さいました。
その後、大学や関係のあったNPOの助けもあり、働きながら通信制で卒業をすることになりました。
しかし、これだけお世話になっていた若者が、いざ困ったときになにも力になれなかったことや、相談相手になり得なかったことは、ショックでした。
若者と地域を結ぶことを掲げるのなら、まず若者が安心して活動できる土壌を整えることが必要ではないか、それをせずに若者と向き合うのは無責任では? お金のことも含め、どんなナナメ上の相談でも受け止められる拠点「みなと」を作る。それに賛同する「みな」と世界中にみなとのネットワークを構築しよう!
あなたが乗り込んで下さった「みなと計画」は、こうして生まれました。
いよいよ後戻りの出来ない外海へ漕ぎ出すにあたって、原点となるお話しを共有できることを、うれしく思います。
約一か月にわたるキャンペーンへの応援を、ありがとうございました!
それでは共に、果てなき海へ漕ぎ出しましょう!
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