令和6年能登半島地震に出動しました。
2025/4/9 11:30
キャンペーンページ内で掲載していた能登半島地震での活動の続きとなります。
今回の活動報告は、1月3日以降の現地での救助犬の活動の様子を掲載いたします。
1分1秒でも早く
救助隊とともに向かう場所は、1階は完全に倒壊している家屋、津波によって外壁もなく家の中に大量の瓦礫が流れ着いてしまった家屋など、言葉を失うほどの甚大な被害を受けた現場の数々でした。
救助犬にとっても簡単ではなく、大量の瓦礫や滑りやすい瓦屋根、窓から侵入し幅60cmほどのわずかな空間での捜索、夜間など難しい局面もありました。それでも、大好きな「人のにおい」があることを信じて何度も果敢に捜すその姿は本当に頼もしい存在でした。
三位一体となって
現場では、ガラスやくぎなど怪我に繋がりそうなものの除去や少しでもにおいをとりやすくするような配慮、ベニヤ板の設置、家屋の倒壊リスクが高い場合は補強作業等、救助隊の様々なサポートによって救助犬の活動を支えていただきました。
犬たちは手段の1つであって、道具ではありません。
その当たり前のことは、ハンドラーだけでなく救助隊も同じ想いであったと感じることができました。
役割
私たちの役割は、犬たちの反応を情報の1つとして救助隊へ伝え、救助活動を迅速に行うサポートをすることです。
そのため、捜索後は次の活動へ転戦することが多く、1つの現場に長くとどまることは殆どありません。
1月6日(土)、この日も救助隊の要請を受け出動し、4件の倒壊家屋を捜索しました。
捜索後、車両に戻るために救助犬を連れて歩いていた時、
「先程はありがとうございました。救助犬の捜索後、反応近くですぐに発見されました。本当に凄いですね。」
と、一人の救助隊の方に声をかけていただきました。
また10日(水)に活動した現場でも同様に連絡がありました。
救助犬による反応が救助活動の1つの情報となり、迅速な発見に繋がったそうです。
ですが、発見された方は、残念ながら亡くなられていました。
素晴らしい嗅覚を持ち、捜索に特化した災害救助犬。
しかし、国内の災害現場で救助犬によって生存者を発見できたことは、これまでほとんどありません。
沢山の時間をかけ育成し、発見できても亡くなられていることは辛い現状ですが、時に被災地で最後の頼みの綱となり活動し、また「早く会いたい」と願う被災者家族に寄り添い、その心を救う災害救助犬の尊さと存在意義はかけがえのないものと感じます。
輪島市へ
珠洲市内では安否不明者数は随分と減り、救助犬の要請もその時点ではないことが確認されたため私たちは珠洲市を離脱することを決定し、依然として安否不明者情報が多かった輪島市の調査に向かいました。
輪島市は珠洲市よりも更に広範囲で被害が発生し、発災から11日が経過していたものの被害状況は一元的に集約されていないなど現地はまだまだ混乱している状況でした。
その時点では情報を得らえなかったため、災害救助犬への要請があればいつでも対応可能であることをお伝えし現地から離脱しました。
本部に戻ってからも救助犬と隊員のコンディションを整えながら待機とし、再要請があれば出動できる態勢を整えました。
輪島市へ再出動
現場は、大量の土砂が広範囲にわたって流入し全容の把握もままならず、発災からのにっすの経過と土砂堆積の深さを考えると、救助犬にとってはかなり厳しい条件下での捜索となりました。
わずかでも反応が得られることで捜索範囲を絞り込むことができると信じて活動しましたが、残念ながら犬たちからの情報は得られず活動を終了しました。
今回の活動を振り返って
今回の災害対応を通して、救助隊と救助犬団体を繋ぐ調整や、現場では殆どの救助隊が救助犬を知らず、救助隊の不安を取り除くことの重要性を再認識しました。また自己の安全確保の徹底、自己完結型であることなど、現場に向かう隊員の知識や技術や意識なども標準化の課題です。
各被災地域にもっと沢山の救助犬が育成されていれば、救助犬の運用が認知されていれば、もっと早く捜索に加わり活動することができていれば、助けられた命はあったと思います。
私たちは、危険と隣り合わせの中で活動します。今回も活動中に余震が発生し緊急退避による緊迫した現場もありました。
SNSでは愛犬家の方々から「かわいそう」とお言葉を受け取ることも少なくありません。
ですが、救助犬たちの存在が悲観的な存在として認知されるのではなく、正しく理解され皆様から応援してもらえる存在になってほしい。
そして、災害時は救助犬も救助隊のチームの一員として認知され、より多くの救助犬とともに尊い命を守れる社会になってほしいと願っています。
私たちはこれからも新しい社会を目指して活動に精進してまいります。
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