2025年1月24日。45回目の誕生日を迎えました。健康で、3人の子どもにも恵まれ、誰もが自分の好きなことができて楽しく生きられる世界を夢見て、国際協力団体の認定NPO法人 ADRA Japan(アドラ・ジャパン)で働いています。一人の力は小さくない。それを証明したくて、今回の誕生日はバースデードネーションにチャレンジします。
Story
はじめまして。永井温子です。私は、「東京から一番近い田舎」と言われている千葉県木更津市で、4人きょうだいの3番目として生まれました。気が付けばもう45歳。いつの間にか人生の半分以上を、「世界をよい方に変えたい」と思いつづけて生きています。
バースデードネーションとは、お祝いの代わりに寄付を集めるキャンペーンのことです。皆さまから頂いたご寄付は決済にかかる手数料と利用料を除いた全額が、私が働いている団体でもある「認定NPO法人 ADRA Japan」に届けられます。
画面右下の「支援する」ボタンで500円から寄付できるので、是非気軽な気持ちで寄付をお願いできると嬉しいです!
■ 私が国際協力をライフワークとしている理由|1歳で死にかけた過去
母が私によくする話があります。「ミルクが合わなくてね、いつも噴水のように吐いてしまうの。なかなか大きくならなくて、本当に心配した。1歳の時にはひどい下痢になって、2件目に行った病院で、『あと2日遅かったら、この子は死んでいましたよ』と言われたのよ。それからは今でいうポカリを飲ませてね…、命拾いしたいのよ」。
私はこの話を、誕生日のたびに聞いてきました。助けられた命なんだということを感じてはいましたが、大学生の頃、その命の使い方を考えさせられる事実に出会います。
「3秒に1人、世界で子どもが亡くなっている。その死因の多くは、感染症と下痢」。
私は助かったけれど、同じ状況で命を落とした子どもが、毎年何百万人もいるという現実は、何とかしなければならない自分事になりました。
ADRAとのつながり
ADRAは、私が大学4年生のときに海外ボランティア先を探していて出会った団体です。2年生のときにタイとバングラデシュ、3年生のときにメキシコを訪問し、ストリートチルドレンの施設を回り、「今年もどこか行きたい」と思っていたときに、学校の掲示板に貼られていたポスターを見て知りました。行先はコソボ。今まで行った地域とは全く違う東ヨーロッパであるという好奇心から申し込みを決めましたが、この体験が、それまでに形作られていた「私自身」を、毛穴からすべてひっくり返すことになります。
当地で目にしたのは、なだらかな丘に、どこまでも続くかに見えた墓標。大虐殺で1日にして45人が殺された村の集団墓地でした。お墓の没年がすべて1999年です。衝撃を感じながら歩いていると、1980-1999と記された数字を見つけ、目が離せなくなりました。私と同じ年に生まれこの地に眠る彼か彼女は、私がカラオケで夜遊びをしていたころ、無残にも命を奪われていたのです。人生の、あまりの違いに、私はそれまでに自分が知っていた世界がガラガラと音を立てて崩れるのを感じました。
泣いてしまった私はADRAの現地スタッフからこう諫められます。「アチ、泣くんじゃない。強くなりなさい」。彼女自身、森に隠れ、虐殺を生き残った一人でした。この瞬間に私は、世界を少しでも良くできる人間になろうと決意を決めたように思います。
卒業後、3年半ほど、タイで働き、戻ってきてからADRAの職員に応募し、採用されました。ネパールに駐在していたときに、資金の問題で思うように活動できなかった悔しさを胸に、現在は、広報・ファンドレイジングを担当しています。
■ 寄付金の使いみち
集まったご寄付は、ADRAが世界各地で取り組む一人ひとりに寄り添う活動のために、感謝を込めて送らせていただきます。
世界を少しでも良くしたいという私の想いに賛同していただけたら、画面右下の「支援する」ボタンで500円から寄付できるので、是非気軽な気持ちでご参加いただけると嬉しいです!
※ 寄付金は決済にかかる手数料と利用料を除いた全額が団体へ寄付されます。