Story
ミンガラーバー(ミャンマー語でこんにちは!)。地球市民の会ミャンマー駐在員の鈴木亜香里です。3月23日は、私の33歳の誕生日です。25歳でミャンマーに来ましたが、ミャンマー人の夫と結婚し、まさか8年も駐在するとは思ってもいませんでした。そんな大好きなミャンマーの学校建設のため、バースデードネーションに挑戦したいと思います。
私とミャンマーとの出合いは、東京外語大のビルマ語専攻に入学したこと。「ビルマ語専攻かウルドゥー語しか受からない」と予備校の先生に言われ、「ビルマの竪琴」という映画があると聞いたことがあり(映画は見てすらいない!)1ポイントリードのビルマ語を選んだというわけです。最初は消極的な理由でできたミャンマーとの関わりでしたが、今では「運命」だったと思っています。現地で結婚して、永住のつもりでいるくらいですから・・・(笑)。
大学1年生の春休みに、初めてミャンマーに行きました。初海外で、初ミャンマー! ヤンゴン国際空港に着くと、停電で真っ暗、そしてムシムシと暑い・・・。宿泊先も薄暗く、大変なところに来てしまったと後悔しました。しかし、日が昇るとともに、私の心も明るくなっていきました。なんといっても、ミャンマーの人たちが優しく、大感動! 初めて会った私たちのために、時間やお金を使ってミャンマーを案内してくれるミャンマー人。料理も美味しくて、一気にミャンマーが大好きになりました。
旅行中に、僧侶が運営する孤児院に連れて行ってもらいました。孤児院の運営原資は、地元の人々による寄付。寄付している人たち自身も特に裕福ではないのに、「子供たちのために」と言ってお米や食べ物を寄付します。しかし、それでも資金は不足し、子供たちの服はボロボロ、サンダルもなく裸足で、一日2食のみとのこと。「僧院は本当は男の子しか住めないのに、ここの僧侶は女の子も受け入れている。それをよく思わない人もいるんだ」。それを聞いて、「子供たちの命は、私が守らなきゃ!!」と使命感が芽生えた私。大学卒業まで、孤児院支援のサークル代表として活動し、子供服や粉ミルク、お金を持っていく支援を続けました。国際協力の舞台で働きたいという想いが生まれた瞬間です。
ミャンマーが大好きになった私は、大学3年生が終わったあとに1年間休学し、ヤンゴンに留学しました。最初は国際仏教大学に通い、残りの半年は日系NGOのヤンゴン事務所でインターンをさせてもらいました。
NGOでのインターンで学んだことは、「主役は、現地の人」ということです。日本人がバリバリ働いているイメージでしたが、実際に第一線で働いているのは現地スタッフと地元の人たち。日本人はマネジメント担当で、現地スタッフが仕事をしやすいようにサポートをする役割でした。本当に現地のことを良くできるのは、外から来た外国人ではなく、そこに住む人たち。「自分がやってあげなきゃ」という上から目線での支援は間違っている、という当たり前のことに気づきました。そして、自分たちの地域をよくするために頑張っているミャンマー人たちの姿を見ているうちに、私もその仲間に入れてほしいと感じるようになりました。
大学卒業後、東京の経営コンサル会社で2年弱働いた後、地球市民の会に入りました。地球市民の会のミャンマー事業では「与えあい、共に学ぶ」というコンセプトがあります。お金の面は日本側が支援し、心の豊かさや助け合いなどの精神的な面はミャンマーの人から学ばせていただく、という考え方です。上から目線での支援ではなく、対等な立場での活動は、私の思い描いていた国際協力と同じでした。
私の誕生日である3月23日には、ピンラウンジー村保育園の落成式を実施する予定です。この保育園は、村の人たちが「子供たちの教育のために」と建設を計画しました。各家からお金を集め、労働奉仕も募って建設を進め、なんとか半分程度できました。しかし、自分たちの暮らしだけでも大変な環境ですから、なかなか完成までたどり着けません。そこで、地球市民の会が寄付を募って資金援助をし、なんとか保育園が完成したのです。現地の人の頑張りに、日本人が資金面でサポートをさせていただく。そして、落成式で完成の喜びを分かち合う。これこそ私が思い描く国際協力の形だなと思います。
ピンラウンジー保育園が完成した後も、まだまだ地球市民の会の活動は続きます。次は、チン州にある学校を建設したいと考えています。チン州はミャンマーでも一番発展が遅れている地域で、生活もかなり厳しいので、村の人たちだけではなかなか学校を建設することができません。そのため、地球市民の会で学校建設資金を集めたいと考えています。上から目線の支援ではなく、村と一緒に学校を作り上げていくという感覚です。もし、「与えあい、共に学ぶ」というコンセプトに共感してくださったなら、私の誕生日プレゼント代わりにご支援いただけますと幸いです。