Story
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2018.03.31.sat
おかげさまでやっと24歳を迎える事ができました。
そして、私にとってかけがえのない大切な人を見送ってから、もうすぐ1年が経ちます。
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幼少期に母子家庭だったので祖母に育てられた私は、超超超おばあちゃん子。
初孫だったこともあり、名前の通りたっぷり愛されて(甘やかされて)育ってきました。
おばあちゃんとのエピソードには事欠きませんが笑、なかでも印象的なのが小学校の卒業式。
想い溢れてちょっぴり涙目で退場する私に、「愛ちゃん、幸せの黄色いハンカチーフよ〜〜!」と黄色いハンカチを投げて渡してくれました。
みんなの前で…他の親御さんはムービーも撮っているだろうに…恥ずかしい…と思っていましたが、今思えば、おばあちゃんは私の涙が耐えられなかったのかも。
私が泣いていると、おばあちゃんはどんな時でも何とかしてくれようとしました。
私が引っ越したくないと泣いた時も、大学でうまくやれず社会から逃れたくて泣いた時も、成人式で振袖が着られなかった時も。
いつだって「愛ちゃんの為ならおばあちゃん、何だってするわ!」と言ってお節介を焼いてくれました。
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おばあちゃんが初めてがんになったのは、私が高校3年生の時。
そのあと、大学4年生の時にがんが再発し、恩返しでもないですが、就活の合間を縫って、社会人になってからは毎月有給を取って病院に付き添っていました。
病院通いとはいえ、おばあちゃんは食欲もあり元気でおしゃべりだったので、このときは思いもよらなかったんです。
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2016年末に容体が悪化し、2月には自力での生活も困難になり入院。
3月15日は仕事で徹夜が決まっていましたが、合間にお見舞いに行きました。
ふくよかだったのに痩せ細ってしまったおばあちゃんの姿を見て、少し動揺しましたが、いつも通りのおしゃべりを1時間程して、ホッとしました。
帰り際、「愛ちゃん、また来るよね?また来るよね?」と聞かれ、いつも通り、「大丈夫だよ。安心して、また来るよ。」と答えました。
それが、おばあちゃんとの最後の会話でした。
私の誕生日を過ぎた2017年4月5日、おばあちゃんは天国へ行ってしまいました。
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初めて身内を亡くし、もう「愛ちゃんの為ならおばあちゃん、何だってするわ!」と言ってくれる存在がいなくなってしまったことをしばらくは受け入れられずにいました。
その時に、マギーズ東京の存在を知りました。
がん患者本人だけでなく、家族や友人のとまどいを全て受け入れてくれる場所。
施設内どこに座っても必ずお庭が見えるようになっていて、人の気配はあるけどプライバシーは守られた椅子の高さ、闘病中でも辛くない椅子の座り心地。
実際に足を運ぶことができたのは最近になってからのことですが、マギーズ東京の存在があったからこそ、「どうしようもなくなったらマギーズに駆け込めばいいから…!」と自分を奮い立たせてここまで過ごしてくることができました。
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24歳のバースデードネーションは私を支えてくれたマギーズ東京へ。
そして、現在がん闘病中の方やそのご家族ご友人へ届きますように。
※マギーズ東京は認定NPO法人なので、寄付控除の対象です。
※このバースデードネーションを通じて頂いたご寄付は手数料(8%)を除く全額がマギーズ東京への寄付となります。
24歳は今まで存分にもらった愛を贈れる1年になるといいな。