あたたかい部屋のなかで。
2021/3/14 03:08
昨日は小さく生まれた赤ちゃんとの初対面の話を書きました。(https://syncable.biz/campaign/1538/reports/2208#menu)
ふっと湧いてきた言葉の「ごめんね」は、いわゆる謝罪やおわびの言葉ではなく。当然、誰かにぶつけたり、赦しを乞いたいわけでもない。
自分自身のふがいなさとか、無力さとか、心苦しさから出てきたもので、自分でも気づかぬうちに、心のどこかから湧いてくる感情で。
おそれずにいうなら、当時のわたしにとって、目の前にいる小さな赤ちゃんは「不本意なできごと」だったのだとおもいます。(ほんとうにひどい)
わたしは4人姉妹の長女で、これまで大きな病気やけがもなく育ってきた。身近な家族や、まわりの友達に重い病気を抱えた人や、障がいをもった人もいなかった。わたしの母は4人の子どもを産み育ててきたが、何のトラブルもなかった。それしか知らなかったから、自分が思い描いていた、妊娠・出産・子育てのイメージと、いま自分が置かれている現実が違いすぎて、ショックを受けていたのだとおもう。
友人や親せきにも出産したことは報告しなかった。妊娠したことも、結婚したことも、赤ちゃんを産んだことも、そして産まれた赤ちゃんは小さくてこれから何が起きるかわからないと言われたことも。いろいろ聞かれても、説明するのはつらくてしんどくなるだけだから。
そんなとき、いちばん心がほっとするのはNICU(新生児集中治療室)にいる時間だった。眠っている赤ちゃんのそばにいて、そこでどんな風に過ごそうが、泣いたり笑ったりどんな気持ちでいようが、あるがままに受け入れてくれるあたたかい部屋。保育器のなかにいる赤ちゃんと一緒だ。小児科の先生や看護師さんもそばにはいたけど、放っておいてくれることがありがたかった。
NICUでは1か月ちょっとを過ごした。そこではいろんな親子と出会った。1000グラムも満たない双子の赤ちゃん、逆に5000グラム以上で出てきた生まれたての赤ちゃんもいた。(大きいのもかなり珍しいらしく、記念に抱っこさせてもらった)生まれてから一度も外の世界を見たことがない子もいたし、みんなに見守られながら旅立つ赤ちゃんもいた。
暗くてつらい思い出が多い子ども時代だったから、大人になったら自分の好きなことをしたいとおもって、ほんとうに好きなように生きてきた。20代はやりたいことを全部やろうと決めていた。子どもを産むこともそのうちの一つのつもりだったけど、自分の意思ではどうにもならないことがあるということを身をもって知った。そして、この世にはわたしが知らないことがたくさんあるって知った。
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2009年3月に出版した「産後白書」は、620名もの産後女性にご協力いただき、産後のリアルをまとめた冊子です。多くの産後女性の共感を得ることができ、メディアにも大きく取り上げていただきました。
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