スポット展の様子が新聞で紹介されました!
2020/6/13 21:23
石見銀山資料館では6月1日のリスタートを記念してスポット展「福面の図」展を7月31日まで開催しています。福面は覆面のことでマスクです。本日、中国新聞の「中国わいど」で紹介されました。
マスクを考案した宮太柱
この福面は安政3年(1858)、代官屋代増之助が鉱山病対策のために招いた備中国笠岡(岡山県笠岡市)の医師宮太柱(みやたちゅう)が考案したものです。宮太柱は、文政10年(1827)、備後国安那郡西中条村深水(広島県福山市)の宮太立(みやたりゅう)の次男として生まれました。父太立は長崎で蘭学を学び、のち福山藩の藩医に抱えられ、太柱を引き連れ江戸に出ました。しかし、息子太柱は国学の私塾を開き、その上尊王攘夷運動にかかわったことから、父太立は責任を取って太柱とともに国元に帰り、備中笠岡で町医者になったといわれています。
労働者を襲った鉱山病
江戸時代、坑道の中で働く労働者が患う病気に「気絶」(けだえ)がありました。気絶とは、鉱石の採掘時に出る粉石やさざえ灯から発生する油煙などを吸引することで患う呼吸器の病気です。現代では「じん肺」と呼ばれています。気絶を煩うと「せきをせき、煤のごときものを吐き」ついには死に至る、恐ろしい疾患でした。そのため坑内労働者は20歳から30歳迄を人生の盛りとし、それ以後は死ぬか、仮に生きていても働くことはできなかったといいます。
「福面」はhappy mask!
鉱山病対策として招かれた宮太柱は、安政3年8月に銀山に入り、同5年(1860)6月まで滞在して調査を行い、報告書として『済生卑言』(さいせいひげん)をまとめました。「福面」はこの報告書の付図としてあるものです。解説では、福面は鉄でフレームを作り、これに薄絹を縫い付けて、表面には柿生汁(柿のしぶ)を塗って作りました。使用の際にはマスクの内側に「梅肉」を挿れました。これによりマスクの表面に付着する粉塵や油煙を梅の酸で防止できたとされています。宮太柱は「覆」の字を縁起のよい「福」に変えて「福面」と呼びました。この「福面」は人の命を救う「happy mask」であったといえるでしょう。
日本最古のマスクの資料か?
(一社)日本衛生材料工業連合会に照会したところ、一般に明治12年(1879)の広告がマスクに関する最古の資料とされています。しかし、石見銀山の「福面の図」はそれ以前のものですから、ひょっとしたら日本最古の資料かもしれません。今後の調査に期待してください。
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