Issues we are working on
南アジアのバングラデシュ
1971年にパキスタンから独立し、国の名は「ベンガルの国」を意味します。ベンガル人がマジョリティとなり、国語はベンガル語、国教はイスラム教です。
首都はダッカ。人口密度の高さや、見渡す限りの平野地帯も、この国の特徴。
国土の南東部、インドとミャンマーとの国境沿いに位置するチッタゴン丘陵地帯
この国唯一の丘陵地帯で、そこには、ベンガル人と異なる人種、言語、宗教、文化を持った11の少数民族が暮らしています。11民族は総称して「パハリ」(山の民)や「ジュマ」(焼畑する人)と呼ばれ、先祖伝来の土地で、先住民族として生活を営んできました。
しかし、政府は、その土地を沈めて人工湖とダムを建設、ベンガル人を住まわせる入植政策、軍の駐屯地を配置、1972年にはパハリとの紛争が勃発、多くの住人が難民となりました。1997年に和平協定が結ばれた後も、約束のほとんどが守られないまま、諍いや暴力を伴う衝突、人権侵害や望まない開発などで故郷を追い立てられ、今日も、純粋な若者や村人が煽られるかたちで争いが繰り返されています。格差の広がり、貧困状態が続きますが、軍や警察はこの地域に規制を敷き、外国人は特別入域許可書を取って行かなければならず、支援活動どころか、ただパハリの友人と会うことさえ自由にできません。JICAや国連が援助国と連携して行う国際協力は、そこに届けられず、逆にその協力が、彼らにとっては恐怖だと言われたことも…様々な支援活動が行われるバングラデシュの中で、本当に必要な手助けを行うのが最も難しい地域と言えます。
パハリの人々が望む、自治権の拡大と先祖伝来の土地の保護。それは、彼らの生計だけでなく、生き方そのものに影響します。私たちは、政治的な介入や解決が難しくとも、この地域がパハリの存在と共に育ち、文化・歴史を持ち、国内や世界の大切な一部として認識され、愛されてほしいと願います。それを、未来を築くパハリの子どもたちと一緒に叶えていきたい…彼らがこの場所で教育にアクセスでき、自分たちの地域と自然を理解し、アイデンティティを確立し、知恵と底力を発揮して、色々な表現方法で闘い、多文化共生社会を実現する。政治・軍の問題がはびこり、当地域のイメージは遠く、ネガティブで、関わるNGOなどは自ずと、人権を会議や文面で訴え、紛争・被災地扱いするものばかり、どんなプロジェクトを行うにも準備ができていない場所と言われることも痛く感じています。それでも、私たちはチッタゴン丘陵地帯の人や自然、ものやことの本来の良さや、可能性を工夫し、誰かへ届け、支え合うように繋がっていきたいと各活動に取り組みます。
Why we are tackling this issue
2010年と2012年、私が映画学科の学生だった頃、ドキュメンタリーの課題制作のためにバングラデシュを訪れました。短期間で撮影した素材を日本に持ち帰り、編集しながら、なんだか申し訳なさやたりない気持ちを感じていた私は、もっと寄り添い、そこで感じながら映画を作りたいと、2014年、この国に移住しました。ダッカの街で、ほぼ毎日「チャクマ!」とからかうようにベンガル人から呼ばれ、疑問とやや不快も感じ、何のことか調べてみると、チャクマは私(日本人)と風貌が似た、モンゴロイド系の一民族で、バングラデシュでは「チッタゴン丘陵地帯」という地域に、チャクマ族の他色々な少数民族が暮らしていると分かりました。その地域に行ってみたいとすぐ思いましたが、パスポートとビザ以外に、外国人は特別入域許可書を取らなければ行けないことを知り、それがその場所を遠く、またちょっと恐い所なのかと思わせました。しかし、実際訪れると、日本の原風景のような懐かしさを感じ、親近感が湧き、バングラデシュの他のどこよりも居心地が良いと感じて、ここで暮らしたい、作品を作りたいという気持ちになりました。まず、現地の寄宿舎学校でボランティアとして、少数民族の子どもたちにカメラと簡単な映像制作を教えるクラスを行なう準備をしながら、お手本の映像を一本作ることにしました。大学2年で習った「ある町」という課題制作の要領で、自分が選んだ地域を紹介する映像を作る。子どもの数だけ、この地域や故郷の映像作品ができたら素敵だなと想像しました。ちょうど、国際平和映像祭(UFPFF)2015の作品募集中で、5分の映像をYoutubeにアップロードするエントリー方法により、私は制作したお手本映像を応募することに。当時、動画をスムーズにアップできるほど現地ではネットが普及しておらず、私は地域の国連オフィスからアップさせてもらうことにしました。少数民族の方が協力してくれたものの、「ここは監視されているから、この地域の問題を訴えるような内容は控えるように」と言われました。私が撮ったものは、この地域の人々の素朴な生活風景だったので大丈夫だと思いましたが、翌日、軍がボランティア先の学校へ「外国人は何をしに来ているんだ?」と検問に来ました。私は、好きな人たちへこんな迷惑をかけたくないと思ったし、学校側も「これがこの地域なんだ」と、どこかもう慣れてしまったように嘆き、クラスはいったん中止に。その後、許可書が一年間取れなくなりましたが、私は帰国せず、首都ダッカからできることを続けました。ダッカで、先に述べた寄宿舎学校の出身で大学まで進み、自分たちの故郷のために色々と活動する少数民族の有志に出会いました。今は、私のしたいことよりも、現地で求められることがしたいと思うようになり、子どもたちの教育支援に舵を切りました。映像制作者である時から、自ずと描く対象に選ぶのは、子どもたちや(被災地の)動物などと、そのために活動する人々だったように、その仕事を自分自身もしたいという思いがありました。こうして、現在キニティウスクールという寄宿舎小学校運営の他関連する活動に取り組んでいます。軍事支配が続く当地域へ、私が移住することは未だ叶わず、許可書を取って、月に一週間程通います。政府は、バングラデシュの初等教育就学率は100%に達したと言いますが、チッタゴン丘陵地帯には学校がたりず、未就学やドロップアウトせざるを得ない境遇の子どもたちががまだたくさんいます。小学校だけでも十分ではありません。政府や軍、ベンガル人入植者といったマジョリティの影響で、日に日に失われる故郷の土地や自然、独自の文化や地域性を守れるように、それ以上に、堂々と存在し、強く築いていけるように、学び続け、闘っていかなければなりません。私にとって第二の故郷だと思うこの場所で、取り組みたいことはまだたくさんあります。子どもたちや仲間と家族のようになって、それらを一つ一つ実現していきたいです。
How donations are used
常日頃の使い道
♦︎キニティウスクール運営費
♣︎進学支援費
今後の展望において
キニティウスクールの水道再建、教室と寄宿舎の改修(特に屋根)、トイレの整備、制服の新調など
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5年間を一区切りとした継続支援が望ましいですが、一年間だけでも構いません。詳細や特典は別紙(PDF)でございます。ご質問も含めて、メールにてご連絡ください。
5.コーヒーやハンディクラフトなど、支援グッズを購入
コーヒーのオーダーや、ハンディクラフト(ビーズネックレス)のデザインをご覧になりたい方は、メールにてご連絡ください。イベントや店舗で販売・紹介してくださる方も大歓迎です。
皆さまからのご支援・ご協力を心よりお待ちしております❤︎
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