Issues we are working on



社会問題として日々目にする「貧困」「ネグレクト」「障がい」「いじめ」「不登校」「ヤングケアラー」といった言葉の中心には、必ずといってよいほど傷つき倒れている子どもたちの姿があり、ここには共通していることがあります。
それは子どもたちが被害者であるということです。ですからこうしたことがらの責任を、子どもたちに押しつけることはできないということです。
もし彼らがこうした背景の中で問題行動と言われることを起こしたとするならば、それは彼らの痛切なSOSの叫びだと考えています。
私たちは、本人の意思によらない不利益や体験格差により孤立している子ども・青年に対し、包摂的に支援できる環境づくりを行ない、自らの生き方に主体性を持って、積極的に社会に参画することを目的とする活動をしています。
そしてだれもが愛されるために生まれてきたのだと実感でき、すべての子ども・青年が笑顔で生きられる社会の実現を目指しています。
Why we are tackling this issue



私たちの理念
目の前に子どもが倒れています。そ知らぬふりをして、またいで通り過ぎることもできます。でもそっと近寄ることから始めよう、そう考えました。手を差し延べるか、抱き起すか、手をつないで一緒に歩くか、おんぶするか。どこまで、いつまで? それを子ども自身と一緒に考えたいと思います。
支援することを目的とするのではなく、「支援しないこと」もふくめて、まず倒れている子どもに気がつくこと。そこから始めたいと考えました。
ひとりぼっちの子どもがいます。家には親や保護者がいます。学校には級友がいます。それなのにひとりぼっち、そんな子どもがいます。ひとりだけでいろいろな重荷を抱え、辛い思いをしている子どもがいます。そんな子どもたちの存在に、気づくこと。そうしたら次は、「助けて」と声をあげられる環境を作ること。
子どもたちが安心して生きていくことが認められる、周囲のみんなに愛されていることが実感できる、そんな社会を作りたい。
では具体的に何をするのでしょうか。実は私たちの究極的な願いはたったひとつ。それは、子どもたちに満面の笑顔を咲かせたい、ということです。私たちはそれを、目の前にいる、もっとも小さい者のひとりから始めたいと思います。その最初の一歩が何かと言うと、小さくされた者の前にある「つまずきの石」に気づくことだと考えました。
それは例えば、本人が望んだことではない様々な「障がい」です。また、予期しない「アクシデント」だったり、不可抗力による「異変」だったりします。誰かの一方的な「不都合」や「悪条件」かもしれません。すでに「わざわい」や「トラブル」、「窮状」といったものになっているかもしれません。
最初はほんの小さな「悩みのたね」だったものが「ほころび」をつくり、自分自身を守るために「心のハードル」や「心のバリア」をつくり、それらはやがて大きな「壁」となっていきます。そして子どもたちはその殻の中に閉じこもり、ひとりぼっちになっていく。
私たちはまず、その「つまずきの石」を、子どもたちの傍らにそっと寄り添うことで、一緒に気づくことが大事だと考えます。そしてそれを無理やり取り除くのではなく、彼らと一緒にどうするかを考えたいと思います。「つまずきの石」が存在する意味を考えたいと思います。その上で、子どもたちが自分たちの意志で、自身の手で取り除こうとするのであれば、私たちはそれを最後まで見守る伴走者でありたいと願っています。
文楽舎は「よりば」です。行かなくてはいけない場所と、帰るべき場所との往復からはみ出した「寄り道できる場所」です。「学校」や「家庭」とも違う第3の居場所。それは人生の途中で、ちょっと立ち寄る「止まり木」です。
でもその枝は、鳥を引き寄せることはしません。必要とした子どもたちがいつでも休めるように、ただ待っているだけです。だから文楽舎はあらゆる場面で無理強いはしません。ずっとここに居なくてもいいのです。来てもいいけれど、来なくてもいい場所です。少し休んで、喉の渇きを潤し、羽を休めたら、また羽ばたいて行って欲しい。
ただこうは思います。おとなになっても、いつどんな時でも、文楽舎は心の「拠り所」であってほしいと。だからいつでもふらっと戻って来られる場所としてありたい。寄り道できる「寄り場」であり、同時に心の拠り所である「拠り場」なのです。
人は例外なく個人として生まれてきます。だれひとりとして同じ人ではありません。しかし何かの都合で、誰かの損得勘定でカテゴライズされれば、そこでは例外なく比較され選別されてしまう。そのような社会に息苦しさを覚えている子どもたちが目の前にいます。
みんな同じではないはずなのに、同じでなければならなくなった途端、はじかれる子どもはいつも少数派です。周囲のたくさんのみんなと同じではない子どもはスポイルされていきます。
でも考えてみてほしいのです。みんなと同じって何?
May you be content with yourself just the way you are.
(あなたはあなたであればいい。マザー・テレサ)
もし笑顔を忘れてしまった子どもがいるのなら、私たちは伝えます。あなたは決してひとりぼっちではないことを、そして愛されているのだということを。
How donations are used



①毎日のおやつ(軽食)や食事を提供しています。その際の米や食材に使います。
・おやつ(軽食)4800食/年
・食事720食/年
②経済的に苦しい家庭や海外にルーツを持つ子どもたちに対し、食材や生活用品の支給をします。
・学校教材(文房具、鍵盤ハーモニカ、リコーダー、裁縫道具等)
・学習教材(副教材、問題集)
・米、食材、生活用品(下着や靴下)の支給
③その他、子どもたちの笑顔を取り戻すために、一人も取りこぼさず、切れ目のない支援を続けるために、その運営費用として、皆様からの尊いご寄付を活用させていただきます。