【給食支援】時間や想いを共有できるひとときをつくりたい!

支援先

任意団体 学生団体ラッキー

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学生団体ラッキー

支援総額

367,447円

/ 350,000円

104%
100%
  • 支援総額

    367,447円

  • 支援者数

    53人

  • 残り

    終了

  • 開始日

  • 終了日

キャンペーンは終了しました

エッセイ「わたしと食」①

2026/1/26 17:12

エッセイ「わたしと食」①のメインビジュアル

ナマステ!学生団体ラッキーです!

いつも温かい応援ありがとうございます✨✨

今回は、「わたしと食」というテーマでエッセイを書いてみました!

今回のプロジェクトの一環として、私たちなりに日々の食事を振り返ってみたので

ぜひ最後までご覧ください♪


①学生団体ラッキー副代表 山口麟太郎

私の食の思い出はネパールに訪れた際に食べたカツカレーである。

それはネパール渡航を行って1週間弱経ち日本食が恋しくなった頃に食べたものだった。渡航してから初めての日本食であり、日本で食べるカツカレーよりもいっそう美味しく感じられた。

このように感じた理由は、日本食を切望していた気持ちとネパールでの非日常から日本での日常に一瞬だけでも回帰したことによる効果も大きいだろう。

非日常において感じる日常が、より一層食の価値を引き立てるのである。

自分が食を通して伝えたいのは、食には「場所」や「状況」を超えて人の心を満たす力があるというこだ。

たとえ異国の地にいても、慣れ親しんだ料理ひとつで心が落ち着き、遠く離れた日常へ戻ることができる。

「おふくろの味」も似たようなものだと思う。食は単なる栄養摂取にとどまらず、記憶や安心感を呼び起こす重要な「体験」なのである。


②学生団体ラッキー会計 奥村莉奈

食の思い出を辿ると、鮮烈に浮かぶのは小学校の給食の時間だ。給食というと、好きだったメニューを思い出したり、欠席者のゼリーや牛乳を巡ってじゃんけんをした思い出など、多くの人は良い思い出を浮かべるかもしれない。

しかし私にとって小学校のこの時間は、苦い思い出の方が大きい。私は食べるのが遅く、気づけばクラスの友達が次々と食べ終わって片づけを始める中で、まだ自分の食器と向き合っていることが多かった。給食を残すことはあまり許されておらず、時間内に食べ終わらなければ、お昼休みの時間を削ってまで食べ続けなければならなかった。そのため、給食時間の後半になると、目の前のご飯は冷え切り、美味しい食べ物ではなく、達成しなければならないノルマのように感じていた。急かされる空気感や先生からの視線、外に遊びに向かう友達の声などから、焦りと孤独を感じていた記憶がある。そのため、食べるのが遅いことは、「悪いこと」と感じずにはいられなかった。

今でも食べるのが遅い。そして小学校時代の影響は今も少なからず残っている。誰かと食事をする時、時折無意識にも相手の食事の残量を気にして、相手を待たせることの恐怖から、味わうことなく急いでお箸を口に運ぶ。たとえ、待つことを気にしないと言ってくれる相手だとしても、落ち着かない。既に完食している相手と食事が半分残っている自分の間には、沈黙が生じる。気まずさを埋めるために会話を続けようとしても、口の中に食べ物がある状態だと頷くことしかできず、会話がぎこちなくなる。また、相手はスマホを触って時間を潰してくれて良いのに、気を遣ってか触らずに待ってくれる。その優しさが逆に気を遣わせてしまっていると感じプレッシャーになることもある。さらに、この場面では相手からの視線が最も緊張する。見ているつもりはなくても、食べるのをじっと見られているような気がしてしまう。

この時空が歪んだような空間では、食事の時間は、食べた気がせず、食への寂しさが残る。

しかし、私が最近、食の本来の豊かさを再認識するに至った思い出がある。それは、祖母の家で過ごした静かな朝食の時間だ。その日の朝食は、特別豪華な料理ではない。ご飯・お味噌汁・鮭・お漬け物というthe朝食なメニューだったが、それこそが最高の贅沢に感じた。

普段、忙しさに追われ、朝食を栄養補給の義務のように扱ってきた私にとって、この定番の組み合わせは逆に新鮮に映った。テレビも付いていない静寂の中、テーブルには飾らない、しかし丁寧に盛り付けられた料理が並び、その湯気から漂う香りが空間を満たしていた。

祖母と私、たった二人だけが向き合うその場には、時間を埋める雑音や急かす空気は一切ない。むしろ、持て余すほどの豊かな沈黙が横たわっていた。

その普遍的な安心感は、私の中の「早く食べなければ」という焦りを溶かしていく。急いで食べる必要のない、ただ目の前の食事と向き合う時間。特別なご馳走ではないからこそ、この静かで穏やかな食卓そのものが、どれほどこの上なく優雅で贅沢な空間であるかを心から実感した。

このことから食の記憶は味ではなく”場”に宿ることを実感した。タイパという言葉が流行る世の中で、効率が求められ、食事も単なる栄養補給として扱われることもある。しかし、食の時間そのものを大切にし、ゆっくりと心を満たす時間であってほしい。食卓をただ食べる場所ではなく、それぞれの人が、それぞれのペースで、自分らしくいられる場所であってほしいと願う。



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代表:中島悠貴 山口夏凛

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