学校や会社に通い、自分の好きなものを買い、何かに困ったら誰かに相談できる——
私たちが日々当たり前のように送っている「普通の暮らし」。
でも、児童養護施設で育った子どもたちにとって、それはとても難しいことでもあります。
今回ご紹介したいのは、私たちが12年前に出会ったDくんのお話です。
明るくまっすぐに生きてきた彼は、今、重い病と孤独の中で懸命に闘っています。私たちはそばで彼を支えています。
でも、これはDくんひとりのための支援ではありません。
どんな育ちであっても、困ったときに「助けて」と言えること。
そしてその声を、ちゃんと誰かが受け止めること。
そんな当たり前が、誰にとっても当たり前になる社会を、少しずつ育てていきたいのです。
そのために、私たちは今できることを重ねています。
けれど、どうしても私たちの力だけでは届かない場面があります。
だからこそ、このクラウドファンディングを立ち上げました。
どうか、Dくんと、彼のような若者たちの未来を変えていくために、私たちに力を貸してください。
ストーリー
虐待や貧困など、さまざまな事情で家庭を離れ、児童養護施設で暮らす子どもたち。
私たち日本セラプレイ協会は、そんな子どもたちの心のケアにも取り組んできました。
一方で私たちは、活動の中である現実に何度も直面してきました。
それは、私たちが“当たり前”と思っている「普通の生活」が、施設で育った子どもたちにとっては、想像以上に険しい道だということです。
彼らには「頼れる親」も、「何かあったときに相談する家族」もいません。家を借りるにも、病院にかかるにも、「住所がないから何もできない」。制度上は「大人」でも、情報・セーフティーネット・人とのつながりなど、あらゆる点で通常のスタートラインすら遠いのです。
* * *
今回、皆様に知っていただきたいのは、私たちが12年前に出会い、交流を続けてきた「Dくん」のエピソードです。
「せっかく健康な体に産んでもらったのに、こんな体にしてしまった。親に会って謝りたい。」
施設を出てからも、彼は懸命に働き、自立の道を歩んでいました。
しかしある日、体調を崩し、ウイルス感染から髄膜炎を発症。長期の入院が必要な状態になってしまいました。
出会いと再会
Dくんと出会ったのは、彼が小学校5年生の頃です。
当時、養護施設に暮らす子どもたちに向けて、職員との関係性を深める「セラプレイ」プログラムが始まり、彼は最初に参加してくれた子どものひとりでした。
明るく人懐っこいDくんは、2回目の訪問で「遊んでくれてありがとう」と、折り紙で作ったお団子と自分のおやつを添えてお礼を伝えてくれました。
その後も月1回の訪問を通じて、宿題を一緒にしたり、ラーメンを食べたり、くだらないことで大笑いしたり。彼の成長をずっとそばで見守ってきました。
高校卒業後、施設を出て自立の道へ。しかし、社会での生活は想像以上に過酷で、連絡が途絶えた時期もありました。
それでも、1年7ヶ月ぶりに「美和ちゃん、おはよう」と代表に直接LINEが届いたとき、私はすぐにピンときました。
——何かが起きている。
病と孤立の中で
再び連絡をくれたDくんは、感染症の影響で髄膜炎を発症し、すでに体力も落ちていました。働けず、収入も途絶え、食事や生活の維持すらままならない状態。
「このまま、ひとりで死ぬかもしれない」——そんな不安の中で、彼は必死にSOSを出してきてくれたのです。
「この部屋、寒いんだよ」と言ったので毛布を送り、
「食べ物がない」と言ったので、おかゆを届けました。
そしてある日、通話中に外で倒れ込み、救急車を呼ぶことになりました。
「もう無理かも。救急車、呼んでいいかな?」とつぶやいた彼の声が、今も耳に残っています。
病院に搬送されたDくんはそのまま即入院。主治医からは最低でも4ヶ月、場合によっては半年以上の入院が必要と告げられました。
自立の先にある壁
保護者ではない私たちの連絡先を、病院に伝えていた彼。
病室で再会した彼は、車椅子に乗って下を向きながら「こんな形で美和ちゃんに会いたくなかった」と呟きました。
でも私たちは思います。
彼が、ひとりでここまで頑張ってきたことを、もっと誇りに思っていいと。
ただ現実は、途方もなく厳しいものでした。
住所がない彼は、生活保護や医療費の手続きすらできませんでした。
誰もが当然のように受けられる支援が、「家族がいない」「制度を知らない」ことで届かない——それが、彼の「自立」の先に待っていた現実でした。
状況を確認するためにDくんの住んでいた部屋に行くと、すぐに帰ってくると思って家を出たのか、電気はつけたまま、お風呂には水を張ったままでした。荷物は、小さなトランク一つ。捨て方がわからなかったのか、指定のゴミ袋6つが台所に置かれていました。
薄い布団をひっくり返すと、真っ黒なカビ。その隣には、青と紫の折り鶴が詰まった小さな箱がありました。
その折り鶴を、彼がどんな気持ちでひとり折っていたのかと思うと、胸が締めつけられます。
“普通の生活”の難しさを、乗り越えていくために
Dくんのように、施設で育ち、誰にも迷惑をかけずに生きようと努力してきた若者が、社会の中で“普通の生活”を送ることは、想像以上に困難です。
支援制度の存在を知る機会すらなく、また制度を知ったとしても、それを使える条件をそろえることができません。
彼らは、頼れる家族や助言をくれる大人が身近にいないまま、社会に出ていきます。
将来を描くためのモデルケースもなく、「どう生きればいいのか」を一から探りながら、自分なりに一歩一歩進もうとしています。
そんな姿を見て「もっと頑張れたはずでは?」と感じる方がいるかもしれません。
でも、私たちは知っています。
彼らは「頑張っていない」のではなく、「何が正解かを学ぶ機会を、持てなかった」だけなのだと。
* * *
不器用でも、遠回りでも、立ちあがろうとする彼らにいま必要なもの。それは、「もう一歩進んでみようと思える、誰かとの関係性」と「そこに付き添う手」です。
私たちがDくんと繋がり続ける中で感じているのは、「支援は、電話をつなぎ続けること」でもあり、「不安なときに何度でも頼れること」でもある、ということです。
だから、24時間体制で電話をつなぎ、役所に同行し、時には一緒に泣くこともあるような、時間と労力の積み重ねの支援を続けています。
私たちは信じています。
「困っている」と声に出すことを、恥ずかしがらなくてもいい社会が必要だと。
Dくんの命を守ることは、彼ひとりのためだけではありません。
皆様が差し出してくださる手が、「声を出せば誰かが受け止めてくれる」社会への、第一歩になります。
人が人として、自分の足で立ち上がれるために必要な「関係」を育てる営みを、私たちは昼夜問わず続けていきます。
ただ、どうしても持ち出しでの支援活動になってしまい、同じ想いで支えてくださる方を募りたい、お一人でも多くと繋がりたいと願っています。
「ひとりじゃない」と感じられる関係の中で、一人の青年が、もう一度立ち上がる力を養うこと。
それが、私たちがこのクラウドファンディングに込めた想いです。
300円から、どなたでもご支援いただけます。
どうか、Dくんのこれからを一緒に支えてください。