女性のエンパワーメントという言葉を目の当たりにしたのは、四半世紀前のことです。私が所属していた講演会企画サークルの依頼に応じて上野千鶴子先生が一橋大学へ来てくれました。一番大きな講義室は満員になり、お客さんの多くは今の私と同世代の女性たちだったことを覚えています。
講演テーマは「家族」。上野先生は系図を見せながら、同居している夫を家族と思っていない人、死者を家族だと思い続けている人の事例を話してくれました。時折はさむジョークに会場は大きな笑い声に包まれ、参加者がとにかく元気だったことを記憶に残っています。
そうか、あの時集まって女性達は「エンパワーされていた」のか、と気づいたのは、あれから20年近く経ったある日のこと。私も彼女達と同じくらいの年頃になっていました。
今、日本では長年「仕方がない」とされてきた女性ゆえに受ける不当なことに対する異議申し立てが続いています。職場のセクハラ、女の子だからと押し付けられる役割、毎朝の電車で起きる痴漢など、かつてなら、訴えるすべがなく、飲み込んできた悔しさを声に出す人が増えてきました。また、世論が彼女達の味方になることも少なくありません。
こうした状況は一朝一夕にできたものではありません。長い時間をかけて押し付けられる女役割をはねのけてきた人たちがいることを、私たちは覚えておく必要があります。WANには、今、私たちが当たり前のように享受しているものを獲得するために戦った女性たちの記録が、様々な形で残っています。ぜひ、サイトをご覧になってみてください。
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