「女で何が悪い」の一言。WANと出会い「私は私を生きる」と言えるようになった。 石田あゆみ
2020/2/2 00:15
「また女の子だ」
産道を通り抜け、やっとこの世に誕生した私にかけられた最初の言葉です。我が家ではすでに二人の女の子(私の姉)が生まれており、「今度こそ男子誕生」を熱望していた両親や親戚一同の思いを私は裏切ったのです。周囲の落胆は子ども心に沁み込み、成長してからも「女の子に生まれなければよかった」「女はソン」としばしば思いました。
この思いに捉われた私は学校でも職場でもどこか居心地が悪く、それを解決するためにイベントや本を漁っているうちにたどり着いたのがwanでした。現在、私はwan会員であると同時にボランティアスタッフでもあります。ボランティアスタッフの活動は多岐にわたります。例えば「上野研究室ゼミ」では、書評セッションでは企画から運営までボランティアたちに任され、取り上げる書籍選定、コメンテーターと交渉をはじめ、セッション後の懇親会、感想の収集まで担当します。
直近の書評セッションは『1982年生まれ キム・ジヨン』。この本を翻訳し日本に紹介された齋藤真理子さんをコメンテーターの一人にお迎えしました。齋藤さんの解説と参加者の意見交換により議論は深まりました。現役の学生さんからリタイア後の年配の方まで、実に様々な皆さんのご参加を得ましたが、私たちが抱える困りごと、ジェンダー、フェミニズムについて新たな発見があったことが感想から伺えました。世代を超えて、この社会が女性に対して行っている理不尽を許してはいけないとの認識を共有できたと思います。
意見を自由に述べ合えるのも、自分自身の体験を語れるのもwanが安心でき信頼できる場だからです。wanとの巡り合いによって得たこのような場は、私の世界を広げてくれました。もうひとつ得たことがあります。wanのイベントで聞いた上野千鶴子理事長の「女で何が悪い」の一言。私の不全感、希薄な自己肯定感は払拭され、「私は私を生きる」と言えるようになったことです。もし、生まれ変われるとして男と女どちらを選ぶかと問われれば、今は迷わず答えます。「また女の子だ」。
私たちの社会は女性にとって不快なこと、理不尽なことが山のようにあります。生きづらい日常は私たちに自信を失わせます。私がそうであったように多くの方にとっても、きっとwanは必要です。自分自身が望む生き方ができる、女性が自由に活動できる、そんな社会にするためにwanの持続は欠かせません。wanに関心をお持ちになった皆さんがwanの一員となり、共にwanを支えてくださることを願ってやみません。
← 活動報告一覧へ戻る