能登半島地震、2ヵ月レポート
2024/3/1 22:49
地震発生から丸2ヵ月。
大半のエリアで電気の復旧が進み、一部の地域で水道が戻ってきました。
「数日前にようやく水が戻った」
「飲水が出るようになったから金沢から家族を連れてきた」
「電気や水が戻ってきた時、やっぱりホッとした」
「水が使えるようになったけど給湯器が駄目だからまだお風呂は先になりそう」
「あったかい水でお皿洗えるなんて幸せって思った」
こうした水道が出たという報告がちらほら聞こえます。
水が出たことで、地震前の生活に近い状態に戻れる世帯も多くありますが、水が出たとしても戻れないところも少なくありません。
これまでは、みんな一律にライフライン不通で困っていました。ここから、復旧状況に大きな差が生まれていきます。そこから出てくる気持ちの違いや地域の中の温度感には、少し目を向けておかないといけないと思います。
罹災証明の判定が出たとの話も聞こえてきました。
判定が出てきてようやく、自分の受けられる制度がどれくらいあるのかが分かっていきます。
先に進むからこそ、具体的に自分の生活再建をどうするか?を悩み始める様子もあります。
家がまだ立っていても倒壊してしまっても、個人個人の望みに一番近い形で生活再建ができるようなサポートができればなと思います。
家を修繕するのか、仮設住宅に住むのか、解体するのか、たくさんの選択肢の中から考えて選び取れるようにサポートしていく必要があります。
【会えない】
しかし、倒壊件数が多いエリアなどでは、そもそも住民さんに会うことが難しい。
2月に入ってからサポートを始めた、輪島市町野町。
珠洲市と同じような倒壊具合の場所があり、金沢など地域外へ避難している方も多く、家を訪問しても不在も多い。
今までずっとやってきている、車の救出や家財レスキューなども、住民の方と会えてはじめて進められるもの。
車は出してほしいけど金沢から戻ってくるのはだいぶ先、鍵を持っている人が遠方に避難している、などで進められないニーズもあります。
珈琲の炊き出し班や足湯隊などとも連携しながら、住民の方とお話できる機会をつくってもらっています。
珈琲の炊き出しやマッサージのサロンは、それぞれその提供以上の意味があったりします。こうしたソフトな支援を提供しながら、現場のニーズに耳を傾けています。
【お風呂】
水の話に戻ると、まだ断水している地域も多数、水が出ないことでかなり多くの影響を受けています。
自衛隊風呂が各地にありますが、それに入れる人は限られています。
自力でお風呂まで行ける方で、自力でお風呂に入れる健康さがあって、入浴支援をしている時間帯にお風呂に行ける時間的余裕のある方に限られています。
整理券が配布されてそれを受け取って、指定の時間に再度行く、が難しい場合も、整理券がなくなって入れないというケースも。
DMPOやものづくりチームが設置しれくれたにしぎしのお風呂もそうですが、各地で支援団体がお風呂サービスをしています。
お風呂を作ったり、お風呂までの送迎を手配したり。
施設に入居されている方や、デイサービスなどでお風呂に入っていた高齢の方なども、お風呂に入れていませんでした。
そうした施設や個人宅に、お預かりしている訪問入浴車と給水車で出向いて、お風呂に入れるように状況を整えるお手伝いをしています。
1月から2月にかけては、何度か介護士ボランティアさんも来てくれて、入浴の介助をしてくれるタイミングもありました。
40日ぶり、2ヵ月ぶりにお風呂に入るという方にも出会います。
こわばった体がお湯でほぐれていって、見た目にも血行が良くなって、お顔も気持ちよさそうにゆるんだよ、という報告を聞いています。
健康面でも、精神面でもあたたかくほぐす、という機能があって、これは時に生死を分かつこともあるのだと感じています。
【福祉施設】
介助が必要な方が特にお風呂に入れていないので、各地の施設へ訪問入浴車を持っていっています。
各施設でメンバーが感じているのは、スタッフの方の疲労感。
職員が3割減った、半減した、という話しもありますし、逆に被災して使えない施設から集約されて普段より利用者さんが多いという話しも聞きます。
もともと慢性的な人手不足のところに、地震が襲いました。
自宅が住めなくなったから、家族の介護や生活のためになどと、2次避難を余儀なくされて能登半島を離れたスタッフさんも一定数おられるはずです。
慢性的な人手不足を補うために、技能実習生が受け入れられているところがいくつかあります。こうした海外からのスタッフさんも同じように被災されています。
かなりギリギリな中で、どうにか福祉の現場を回してくださっています。
高齢化率が特に高い奥能登エリアでは、医療福祉に関わる方がいてくださらないと厳しい場所も多くあり、どこの地震の影響を受けています。
しかしこれは、超高齢化な日本の、どこでも起きえる話です。
日本各地で今のうちに、慢性的な人手不足をどうにかしておいてほしいと切に願います。
【避難所】
高齢の方が多い地域だからこそ、もともと認知症を抱えながら生活されている方も多いと聞いていました。在宅だけでなく、避難所にいらっしゃる場合もあります。
大人数の部屋ではなく、個室のような場所を使ってもらっているケース、近くの方がお世話をしてくれていたけど、その方が先に2次避難で別の場所に移られてしまったケースなど、各地で課題になっています。
また、1.5次や2次避難で能登半島を一度離れた方たちが戻ってくるケースも。
水や電気が復活したので在宅に戻ってくるケースもありますが、1次避難所へ戻ってきたいというニーズもあるようです。
1月1日からの過密状態の避難所が、2次避難などで人が少なくなることでどうにか段ボールベッドを入れたりゾーニングできるスペースが生まれた場所も多く、簡単に人員増加に対応できないとも聞きます。
2次避難先での心細さや手持ち無沙汰感、やっぱり地元に帰りたいという気持ちやいつまで2次避難先に居られるのかという不安感と、
電気や水が使えない状態や、決して快適といえない避難所生活に耐えてこられた方たちのお気持ちと、
どちらも分かるのですが、全ては避難生活環境の過酷さ、でもあると思います。
今回の地震対応は特に、人道的にもっとどうにかできるだろうと思う場面がかなりあります。いまだに十分な食事の提供ができていないところも含めて。
こうした対応の大枠は、県や国などの大きなところでの調整が必要不可欠です。国に災害対応のノウハウが全く溜まっていないことがそもそもの原因でもありますが、憲法でうたわれる健康で文化的な最低限度の生活ができるような環境整備をしてもらいたいと願うばかりです。
もちろん、民間でサポートできる限りのお手伝いをしているのですが、どこまで民間でやるべきなのか?が各地で活動する支援団体の共通の疑問になっています。
【支援のピーク】
どうにか、命をつなぐフェーズを乗り越えようと、たくさんの民間の支援が入っています。
しかし、発災直後の「被災地の混乱を防ぐために来ないで」というメッセージがずっと残ってしまっていると感じます。
どんな状況でも対応できる、と自立した支援組織は当初から現地入りして活動をしていましたが、そうした団体も息切れしてきています。
特に、災害直後から命をつなぐためにたくさんの民間組織が炊き出しを実施してきました。長期間現地で炊き出しできる団体は少なく、大半が1回だけや数回分を用意して現地に来てくれる団体でした。そうした団体からの炊き出し実施の申し出も減っていて、また再び食事面の課題が大きくなっています。
行政から調達されるお弁当があったりするものの、毎日ではないので食事の提供がない日が今後増えてしまう可能性もあります。
食事面以外の支援、家の片付けなどについては、各地の災害ボランティアセンターが稼働し始めています。
しかし、そもそも地震災害は災害ボランティアセンターで対応できることが少ないという側面があります。
水害は、家屋からの家財搬出や土砂撤去など、誰でも安全にできそうなことが多いのですが
地震で倒壊しかけた家屋から家財を出す、となると危険が伴います。安全と確認できた家は良いですが、その安全の確認も難しい。
熊本地震などでもそうでしたが、災害ボランティアセンターとして動きづらいのはそうしたそもそもの点もあります。
その分、災害支援に特化したNPOや民間組織などと連携してニーズに対応することが重要な時もあるのですが
各団体が、命をつなぐための物資や炊き出し・給水などの対応に追われていたこともあって、こうした連携がようやく始まった場所も多いです。
各地で連携が進めば、災害ボランティアセンターでの受入人数を増やしたりできていく可能性があります。
まだ各地の災害ボランティアセンターでの募集人数も少なく、これが「被災地でボランティアは必要ない」という誤ったメッセージとして受け取られてしまっているのかもしれません。
災害ボランティアの一番の役割は、その存在だとも思っています。いろいろな困りごとに、「手伝う人がいる」ことが一番重要。すべての活動は、一人じゃないよ、ちゃんと誰かが助けてくれるというメッセージを伝える手段です。
今回、ボランティアが入れなかったことで、このメッセージが伝えられていません。2ヶ月景色が変わらない、誰も来ない中で、お一人で復旧活動をされているところもあるはずです。そうした場所に、ちょっとしたお手伝いでも、お茶の1杯でも届けられたら、きっと暗いお気持ちを支えられると思います。
道路状況が少しずつ改善して、水やトイレ・宿泊場所の確保が少しずつ整ってきて、ボランティアさんにお願いしたいことが整理できてきています。
少しずつ、たくさんの方にお手伝いをお願いできる状況が整っています。
ここからこそ、いろいろな方に来てもらって能登半島を支えてもらえるように、現地にいる人たちや、発信力を持つ人たちが発信せねばなと思います。
【関心の力】
1月2日から現地に入っている私たちも、当初は現地の町の様子に大きなショックを受けました。各地でそれぞれ、甚大な被害があり、見るだけで気持ちがへこたれそうな光景があります。
一人ひとりお話をうかがえば、大切なものを失ったこと、今までの生活が送れない大変さ、今後への不安など、一つひとつの被害を受けた事実は変わらずあって、時間が経ったからこその課題も苦労もあります。
それでも、どうしても映像から受けるインパクトは少しずつ小さくなっていると感じます。
これは、現地で活動する私たちだけでなく、メディアから情報を受け取るみなさんも一緒ではないでしょうか。
自分たちの心を守る機能がちゃんと働いている結果ですが、悲惨な光景に少しずつ慣れてきています。いい意味でも、悪い意味でも。
そして、少しずつ関心が遠のいていくのが、いつもの課題です。今までの被災地も、ガザもウクライナも同じです。
続けることが一番難しいですが、ぜひ、今後も各地の課題へ、注目を向けてもらいたいなと思います。
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