時間との闘い/2025年も拉致問題の真相解明に向け取材します!
2024/12/27 16:00

「特定失踪者家族有志の会」事務局長の竹下珠路さん(左)と、幹事の生島馨子さん
『消えた核科学者』(岩波書店)が好評
2024年は、元動燃プルトニウム製造係長・竹村達也さんの拉致疑惑を追った「消えた核科学者」のTansaでの連載を終えました。
連載は岩波書店から『消えた核科学者ー北朝鮮の核開発と拉致』として、書籍化もされています。
書籍は好評で、各メディアで書評が掲載されました。合わせてご一読ください。
「このまま死んじゃうわけにはいかない」
先日、「特定失踪者問題調査会」の記者会見に参加しました。調査会は2003年に結成された民間団体で、荒木和博さんが代表を務めています。2002年に帰国した5人の拉致被害者の中に、曽我ひとみさんがいたことが調査会を立ち上げたきっかけです。日本政府は曽我さんのことを全く把握しておらず、まだ明らかになっていない拉致被害者がたくさんいると考えたのです。
記者会見の目的は、「事態が動かない中、可能な情報はできるだけ公開する」ことでした。警察が拉致の疑いを持っているのは、800人超。しかし政府が拉致被害者として認定したのは17人だけです。捜査に進展がありません。拉致の疑いがある「特定失踪者」の家族は高齢化し、我が子やきょうだいに会えないまま他界する人が相次いでいます。
情報源を守る必要もあるので、ギリギリの線での公開でした。私が取材している何人かの失踪者についても、情報がありました。
記者会見には、「特定失踪者家族有志の会」事務局長の竹下珠路さんと、幹事の生島馨子さんも登壇しました。
竹下さんは、妹で三井造船の社員だった古川了子さん(当時18)が1973年に千葉県内で失踪。美容院をキャンセルしたまま行方不明になりました。預金通帳も自宅においたままでした。元北朝鮮工作員安明進氏が、「91年に平壌市内の病院にいた女性と似ている」と証言しています。
生島馨子さんも妹が1972年に失踪しました。東京都港区役所で、電話の交換手をしていた生島孝子さん(当時31)。その日は休みを取っていましたが、出かけたきり戻ってきませんでした。翌日に出勤するための衣類は揃えてありましたし、衣替えのための衣類もクリーニング店に出していました。翌日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れました。
生島馨子さんとは記者会見の後、あいさつがてら話をする機会を得ました。名刺には孝子さんの写真が入っていて、馨子さんの肩書きは「姉」です。
馨子さんは、日本被団協のノーベル平和賞受賞に触れて言った言葉が頭から離れません。
「私も言い続けなきゃ。事実を記録しなきゃ。このまま死んじゃうわけにはいかない」
時間の経過とともに、北朝鮮による拉致の疑いがある人たちの家族は高齢化しています。不祥事と党利党略に囚われ政治が機能しない中、ジャーナリストとして真相解明に2025年も尽力します。
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