副理事長 久保野イツ子・「かあさんの家」の名前の由来
2023/6/3 12:42
今回は、「かあさんの家」の担当理事である久保野イツ子さんのインタビュー記事です。
「かあさんの家」という名前の由来や心に残るエピソードをご紹介します。
その日、その人の変化を知る
1軒に5人で暮らしていただいているので、一人ひとりの表情を見て、その日、その人の変化を知ることができます。私ができるのは爪切りだけだけど、そんな風にお一人おひとりのことを見ています。
病人としてではなく、一人の人として、その人の生活ができるように支えているのが「かあさんの家」です。もちろん家族の思いは大事にしますが、「かあさんの家」に住んでいらっしゃるご本人を第一に考えてケアをしています。
家族間の和解にまで関わったこと
「かあさんの家」で家族が主役の看取りを支えるうちに、家族間の和解にまで関わるようになりました。
ある入居者さん(女性)の場合は…お父さん(その方のご主人)が元気で事業をやっているときは、その方はお母さんとして家庭のことを見ていればよかったけれど、お父さん(ご主人)が亡くなって事業を引き継がなければならなくなってからは、仕事にかかりきりで、子どもどころではなくなったとのことでした。
3人の娘さんがおられましたが、次女の子ども時代までは父親がいて裕福な時代、三女の頃は仕事も家族も見なければならない時代。三女さんには「お母さんは私を向いてくれない」…というわだかまりがあったようです。
看取りの時にも「お母さんは自分を大事にしてくれなかった」と話し、末期が近くなっても長女、次女がいるときには三女は来ない…ということが続きました。
でも最後の時に、「お母さんは、『姉妹3人で仲良くしてほしい』といつも言っていた」と伝えると、それからは3姉妹が同じ時間に面会するようになった。
家族間の和解にまで関わったことが、自分の人生の中でも印象に残っています。100人以上看取ると物語がいろいろあります。
「かあさんの家」の名前の由来について
ちょっと前まで母親は自分が病気などで入院しても、退院した日から家のことをやります。「私がいなくてこれまでごめんね」という気持ちです。
特に、今は早期に退院します。家に帰った途端、(体力が戻ってなくても)お母さんの役割を果たそうとします。「入院しててごめんね」そういうお母さんに、一時的に 「病院ではない環境」で過ごしてもらって、家族にも来てもらって、自分たちが間に入って、お母さん(奥さん)の状況を伝えて家族に理解していただいて、お母さんにストレスなく家に帰ってもらう場所が「かあさんの家」の最初の構想でした。
ご主人が、がんで在宅療養しているクリーニング屋さんからは「配達に行っている間だけでも夫をみてくれると仕事を続けられる。」と言われたこともあります。
人の気配が近くにあるだけで安心して眠れるのです。
こういう活動の拠点を「マザーズハウス」という仮の名前をつけて、現理事長を含めた仲間と計画を話し合っていましたが、実は既にその名前の場所があることを知って、どうしようと話しているうちに、私の口癖であった「うちのとうさんがね…」を仲間が取り上げて、「じゃあ(日本語にして)『かあさんの家』はどう?」となったのでした。
最初の家に巡り合うまで、不動産屋60軒を回った
元々の構想の場所とは少し違いますが、病院から家に帰れない人たちをケアする場所ということでは、理念を継承した活動です。
最初の家に巡り合うまで、不動産屋60軒を回って探しました。どこでも「人が死ぬところですか?霊柩車が来るんですか?救急車が来るんですか?」と言われて、なかなか物件に巡り合えませんでした。
ようやく、巡り合えたのは、先日の理事長のメッセージに書かれていたエピソードの通りです。
これからもご縁を大事にしていきたいと思います。
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