1990年2月4日。寒い寒い夜だったが、新宿のとある居酒屋は熱かった。『NICE立ち上げ秘話』
2020/9/23 19:53
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2020年10月1日追記
<東の夜空に生まれた星は>
「日本で、国際ワークキャンプを始めようよ!」
1990年2月4日。寒い寒い夜だったが、新宿のとある居酒屋は熱かった。
カナダで1年間、先住民の家を建てた林拓司さんは、カラフルなインド服をまとった、イラン風イケメン。「俺もね、こういうのあった方がいいと思ってたよ」。彼は低く落ち着いた声で、そう応じた。
「でもそんなこと、本当にできるかなー?」。甲高い声で疑問を挟んだのは、イスラエルの農村共同体・キブツに住み込んだ、小太りのカメラマン、福井健一さん。ビールを飲み干して、顔が真っ赤に染まっていく。
「やってみなきゃ、分かんないよ!」「そぉそぉ!!」。イギリスで果物摘みをしてきた佐藤美樹&由美は、本物の姉妹のように口を揃えて、福井さんに反論する。2人とも旅行会社勤めで、宴会大好きのイケイケ系だ。福井さんは黙って、焼き鳥をむしゃむしゃ食べ始めた。
「面白きゃ、いーんじゃないの」と宇野慎一さん。やはりイギリスで果物摘みをしていた彼も、いたずらっぽく笑って同調する。彼も林さんと同じ大学4年生。
「そうだね。でも、ワークキャンプって一体何?」。ノルウェーで3ヶ月農家に住み込んだ諸英樹さんは、黒縁メガネにスーツ姿。コンピューター会社の仕事帰りに寄ってくれたそうで、冷静沈着なタイプと見た。
一癖も二癖もありそうなこの面々に、俺(開澤真一郎)は、しきりに酒をつぎ続けた。酒の勢いでNGOを創ったわけじゃありませんよ、皆さん!酒は単なる潤滑油。熱い思いがみんなの心にあって、火をつけただけ。
でも諸さんが「で、ワークキャンプって一体何?」と3回目に聞いてきた時、やりすぎたことに気がついた。が、時既に遅し。佐藤シスターズと宇野さんに至っては、合コン話ですっかり盛り上がる始末。みんな初対面とは思えない程、仲良くなったけど、本当にワークキャンプのこと分かってくれたのかなー。。。
こうして、暗闇に覆われた東アジアのワークキャンプ界に、NICEは誕生したのだった。
<NGOと呼ばれないNGO>
結成の翌日。俺はみんなに「じゃ、後はよろしく」と言い残して、アメリカに飛び立った。「自分から呼びかけておいて、なんて無責任な奴だ!」などと怒ってはいけません。アメリカでも色々と、ワークキャンプのことを調べようと思っていたのだ。でも結局、だめだった。
コネもツテも何もなし。全て手探りだった。どこの馬の骨とも分からない奴らを、世間はなかなか信用してくれない。でもだからこそ、本物の絆・経験が得られたんだろうし、むしろ俺達は無から有を生んでいくことに、とてつもなくやりがいを感じていたんだ。
日本に戻った俺に早速、諸さんから電話が入った。「かい、週末に富士に行くよ!」。静岡県富士宮市、茶畑に囲まれた定員8名・日本最小のユースホステルへ。
「君達のような若者が来るのを待っていたんだよ!」。齢70近くになる老夫婦(でも漂うオーラは超若い)、龍武一郎さんとひろ子さんは、こう切り出した。
「え?」実は彼らは30年以上も前に、国際ワークキャンプをやっていたのだ。でもその後、中心メンバーが大学を卒業すると活動は下火になり、もう10数年間も行われていなかったそうだ。何という歴史の巡り合わせ。夜中まで熱く語り合い、俺達と龍さんは、7月と9月に国際ワークキャンプをやることに合意した。
<ついに実現!初のワークキャンプ>
激動の2週間を過ごした、8人の仲間を紹介しよう。
ボヤン(ブルガリア・24才)。ワーキャン経験が豊富でプライドも高く、後にユネスコ職員になる大学生。
ヤツェック(ポーランド・22才)。野球帽の似合うヤンチャ小僧。米国とケチャップが大好きな大学生。
エティエン(イギリス・19才)。細身で物静かだが、やることはしっかりやる、責任感溢れる紳士な学生。
サイド(イラン・25才)。日本に働きに来て2年、コックのお父さんに鍛えられたのか、料理はプロ級。
(まだまだ続きますが、ここでおしまい。)
▼NICE創設者・代表 開澤真一郎(かいさん)のブログでは、アジアの国際ボランティアネットワークNVDAの立ち上げ秘話なども掲載!
https://ameblo.jp/kaizawa-kai/
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