鐘の鳴る丘
2026/11/5 22:44

「みっどりの丘の あっかい屋根~ とんがり帽子の時計台~ 鐘が鳴りますキンコンカン~ めぇめぇ子山羊も鳴いてます~」
口を開けて笑う私の後ろに見えるのは、そう、「とんがり帽子の時計台」。この歌は、1947年のラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌として親しまれ、いまでもある年齢層の方々の前で歌うと一緒に口ずさんでくれます。家も親も失いながら混乱の戦後を明るく生きる戦災孤児らを描いたドラマで、その物語に感銘を受けた男性が1948年に作ったのが「鐘の鳴る丘 少年の家」、私が小学生の頃によく通った場所でした。その頃にはもう戦災孤児はおらず、保護者のいない子や養育困難家庭の子が暮らしていました。小学校では、クラスに2~3人少年の家から通う子がいて、家が近いのでよく一緒に下校し、遊びました。少年の家には大きなトランポリンがあって、みんな宙返りをしたり、一輪車があって上手に乗り回すことができたので、できない私は笑われていました。確か、めぇめぇ子山羊もいたと思います。
まなみちゃんという同級生と仲良くなり、私の家にも来るようになりました。ちょうど少年の家と私の家のあいだに桑畑があり、どどめ(桑の実)は私たちの大好物でした。母に「強い農薬をかけてるから、どどめは食べちゃだめ」と言われながら、どうしても手を伸ばしてしまうふたり。家に着くと「食べたでしょ!」と言われ「食べてないもん!」と答えながら、ふたりの口はどどめの真紫色でした。ある日まなみちゃんに「兄弟連れてきていい?」と聞かれ快諾すると、20人くらい連れてきて驚いたことも。まなみちゃんにとって大きな「家族」、大切にしていたんですよね。
少年の家に、ときには学校に、見慣れないおとながくることがありました。すると子どもが増えたり減ったりしました。嬉しく感じることもあり、悲しかったこともあります。実の親だったのか、里親だったのかは分かりません。とにかく緊張感があって、独特な空気でした。
先日、車で近くを通り、当時と変わらないあの赤い「とんがり帽子」を確認しました。私は小学校卒業とともに引っ越ししたので、それ以来、少年の家の子たちとの接点はなくなりました。あの頃現れた見慣れないおとなたちは、おそらく今の私より若かったでしょう。どんな理由があったのか、どんな家庭があの子らを受け入れたのか、想像したらなぜか涙がこぼれました。まなみちゃんもいいおばちゃんになっているといいな。いまいる子どもたちも、のびのびとトランポリンで大空をジャンプしているといいな、と思いました。





