父親のこと
2026/11/3 10:27

父は肉屋でした。今も、私の肩書やアイデンティティは「肉屋の子」が残っています。揚げ物やポテトサラダなどのお惣菜も美味しくて、3時のおやつはメンチカツでした。おんぶされ店に出てから、肉屋であることが嬉しかったし、誇りだったんだと振り返ります。当時、SMAPは、Sports Music Assemble Peopleの略でしたが、”本当は、Salad Meat Assemble Peopleなんだ!”と言っていたものでした。小学生の頃は、父が早朝から生きた豚を買いに行き、大きなトラックに載せて屠場に向かったので、同級生から「お前の父ちゃん、くっせーな!」と言われ、「うっせぇわ、あんたたちはそれ食べてんのよ!」と返答しました。
明るい父も、自ら保証人となった同業者の友人に夜逃げされ、大金の肩代わり借金を背負って保証協会に通ったり、狂牛病や鳥インフルエンザで肉が売れず、がっくり肩を落とす場面がありました。納め先の焼き肉屋のおばちゃんに肉の質を問われ深々と頭を下げ、「お客から『前と同じ肉を』と言われた時には、少しでもより良いものを売らないと、お客さんは満足しないよ」と私に言いました。それを長年実行し、定評を受け、近所はもちろん、遠くからも肉を求めてくる人が増えました。
私は、近所に愛されたこの肉屋をなくしちゃいけないな、と思い、継ぐことを考えていました。そんなことを考えながらも、国際交流の味をしめ、ラテンアメリカに羽ばたいてしまいました。「もう少ししたら」と帰国するたび店に出ていた矢先、父は潔く肉屋を畳んでしまいました。以前はパッと頭に浮かんだお客さんの「前と同じ肉」が思い出せなくなり、病気も重なり、限界を感じたと言います。いまは、あの店の影も形もありません。
どっちがよかったのかな… 半世紀を眺め、一番に思い出されたのがこれでした。引退して肉を離れた父はいま、畑に出て野菜をつくり、近所や友人に配っています。自然に「人の役に立つ」というそのスタンスを引き継げたら、まぁこれでいいのかな、と考える今日この頃です。





