#コロナ危機 世界遺産での「学びのバリアフリー」を実現するために運営支援を!

寄付先

NPO法人 石見銀山資料館

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仲野義文

支援総額

1,637,000円

/ 1,500,000円

163%
150%
100%
  • 支援総額

    1,637,000円

  • 支援者数

    154人

  • 残り

    終了

  • 開始日

  • 終了日

キャンペーンは終了しました

お米と銀山

2020/6/8 15:35

お米と銀山のメインビジュアル

今日は8日、米の日です。

1978(昭和53)年、全国農業協同組合連合会が毎月8日を記念日に制定しました。米を作るには88の手間がかかるといわれること、米の字を分解すると八十八になることが由来です。 

今日は米の日にちなんでお米と銀山の話をしたいと思います。

石見銀山資料館のある大田市大森町は人口400人の小さな町ですが、石見銀山の最盛期には大都市だったようです。


石見銀山の歴史を綴った史料に「銀山旧記」があります。それによると「慶長の頃より寛永年中大盛士稼の人数二十万人、一日 米穀を費やす事、千五百石余」と、17世期初めの最盛期には人口はなんと20万人もいたと伝えられています。


また、1日で消費するコメも1,500石とあります。ちなみに、成人1人が1年間に消費する米はだいたい1石(150kg)とされていますので、銀山では1,500人が消費する1年分の米をなんと1日で消費したということになるわけです。もちろん、この数をそのままうのみにすることはできませんが、かつては相当な人口があったことは想像に難くありません。


このように大量に米が消費される銀山は、銀生産の場であると同時に米市場としての性格をもっていました。例えば1594年、豊臣秀吉は長崎で鉛と硝石(火薬の原料)を購入するため直轄地の年貢米1万3000石を銀山に送り銀と交換しています。これなどは銀山が大坂などと同様に米の換金市場であったことの事例と言えます。


米の日にちなんで米と銀山をテーマに書きましたが、これから適宜こうした歴史情報も活動報告の中で紹介したいと思います。


🌟最後に、皆様にご報告🌟


今日は米の話ということでしたが、進捗状況としては80%を超えるご支援をいただいております。

今日中に88%を超えるかは、皆様のご協力次第。


ゴールはもうすぐ。引き続き、資料館の応援よろしくお願いいたします。



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〒6940305

島根県大田市大森町ハ51番地1

0854890846

http://igmuseum.jp/

代表:仲野義文

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