#コロナ危機 世界遺産での「学びのバリアフリー」を実現するために運営支援を!

寄付先

NPO法人 石見銀山資料館

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仲野義文

支援総額

1,637,000円

/ 1,500,000円

163%
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  • 支援総額

    1,637,000円

  • 支援者数

    154人

  • 残り

    終了

  • 開始日

  • 終了日

キャンペーンは終了しました

令和2年7月豪雨から考える

2020/7/10 16:23

令和2年7月豪雨から考えるのメインビジュアル

小暑が過ぎました。江戸時代の暦の解説書『暦便覧』には「大暑来れる前なればなり」と記されています。そしてこの時期は、梅雨の終わりごろで、集中豪雨が発生しやすい時期でもあります。

この度の令和2年7月豪雨で、九州地方及び岐阜県で被災された方にお見舞い申し上げます。12日まで予断を許さない状況ですので、全国の皆様もライフラインは確保しておきましょう。

天災はいつも突然で、人々の暮らしを一変させます。

江戸時代、石見銀山でも大水があった記録が残っています。

1851(嘉永4)年6月20日、石見銀山では「銀山大森共前代未聞之大水」と記された豪雨が起きました。

これを「嘉永の大水」と呼んでいます。

この水害は、銀山町や大森町に甚大な被害をもたらしました。

~山崩れが数ケ所で発生し、銀山川にかかる橋はすべて流れ落ちた。床上浸水がおき、食料や道具は捨て置き、老人や女性を引き連れて高所へ避難した。~

この時、石見銀山では50件の家が流出しています。下流域の久利村では20件家が流出しました。特に久利村では溺死者が21名にものぼりました。

この時の溺死者の追善を供養する石碑は、久利町に現存しています。

当時の人々は、突然の天災に驚き、その悲しみや供養の気持ちをもって石碑を建てたのでしょう。

各地の石碑の中には、このように天災が起こったことを示す石碑もあるのです。

ちなみに、当時の代官は森八左衛門という人物で、水害で困窮した人々に銀や米などで救済を行っています。

昨日の活動報告と関連しますが、代官は良い行いをすると石碑が建てられます。

もちろん、森八左衛門はその遺徳により川本村の人々により顕彰碑が建てられました。

皆さんのお住まいの近くに、昔からひっそりと建っている石碑がありましたら、一度じっくりと読んでみるとよいかもしれません。

【告知】

7月11日(土)共同通信社の記事に「福面」が取り上げられます。

7月10日(金)BSSテレビ テレポート山陰 18時15分~19時の中の約3分間 福面と動画について

→放送日が延期になりました。分かり次第、周知いたします。

※追伸

セカンドゴール到達に際し、館長仲野義文よりご挨拶しております。

ご覧いただければ幸いです。

https://www.facebook.com/iwamiginzanshiryoukan/



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〒6940305

島根県大田市大森町ハ51番地1

0854890846

http://igmuseum.jp/

代表:仲野義文

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