私たちの取り組む課題
2011年3月11日、東日本大震災により、私たちの暮らす宮城県石巻市は甚大な被害を受けました。中でも最も被害の大きかった地区のひとつ、南浜・門脇町は、約7mの津波とその後におきた火災により、全焼全壊地区となりました。
そんな中、震災1カ月となる4月11日に、「津波に負けたくない、地域の方を励ましたい」との思いで、「がんばろう!石巻」の看板を製作しました。材料には津波の流木材を使用しました。
その後、看板には多くの方が訪れるようになりました。地域の方々のため、そして全国・全世界から石巻を訪れる方々のため、看板周辺の空間をつかって、さまざまな取り組みを続けています。
◆灯火
震災から1年後の2012年3月11日、亡くなった方への追悼の思い、生き残った私たちの"がんばろう"とする思いを心に留めたく、石巻・東松島・女川の各地域の被災家屋の木片で種火をおこし、「灯火」としました。"思いつづける、忘れない"という決意を、灯火という形のない形にし、思いを込めました。
◆ど根性ひまわり
震災の年の夏、津波によりどこからか流されてきたひまわりの種が看板の近くで発芽し、開花しました。津波にも塩害にも負けずに開花したこのひまわりのたくましい姿に勇気をもらい、「ど根性ひまわり」と名付けて、毎年看板付近に植えています。
◆献花台
震災で亡くなった方々を想う市内外の方が「献花をする場所がない」ということで、自然発生的に「がんばろう!石巻」看板前に献花されるようになっていきました。皆様の追悼の思いを尊重し、あらためて献花台を設置しました。
◆津波到達ポール
津波の高さ、恐ろしさを知っていただくために、津波が到達した高さを示すポールを設置しました。高さは6.9m。建物の2階にも津波が到達したとされています。「震災概要」や「震災体験」など、映像や写真、音声で伝えています。
なぜこの課題に取り組むか
「がんばろう!石巻」看板では、毎年3月11日や震災から1000日、2000日の節目に、市民による手作りの追悼行事を行なっています。実行委員メンバーに、追悼行事や震災伝承を続ける/関わる理由を聞きました。
- 自分が住んでいたまちが「がれきの海」になり、毎年3月11日には悲しい思いをした人たちが看板前に集まってきます。「思いを込めて集える場所をつくりたい」。このまちで暮らす地元の人間として、その想いで続けてきました。(石巻出身/50代)
- 震災後、初めて南浜町に行ったときは、正直「怖い」と思いました。しかし、看板ができ、「がんばろう!」の文字を見るにつれ「みんなと一緒にがんばっていこう!」という気持ちになることができました。灯りをともし、「ひとりじゃない」という気持ちを毎年皆さんと共有していく場として、続けていきたいと思っています。(石巻出身/50代)
- 石巻は全国・全世界の方々からご支援をいただきました。支援をいただいた皆さんに感謝を表すためにも、「(震災を)伝え続けていくこと」が自分の使命だと思っています。「3.11のつどい」を続けていくことも、「伝えること」につながると思っています。(石巻出身/60代)
- 「がんばろう!石巻」の看板は、「3.11に心を寄せる」ことができる場。みんなで思いを共有しながら、祈りを捧げられる場所、想いを寄せる場を作れればと思ってお手伝いしています。(石巻出身/40代)
- 震災から時間が経過し、復興が進むにつれ、「伝わらなくなってきた」と感じます。次の世代に自然災害の恐ろしさを伝えるためにも、活動を続けていきたいと思います。(石巻出身/50代)
- ボランティアとして県外から来ました。結果として誰かのお役に立てたかも知れませんが、それ以上に多くのことを学ばせていただき、成長させていただきました。その感謝の気持ちを忘れないため、多くのことを学ばせてくれた石巻の方々への恩返しのために、関わり続けています。(県外出身/40代)
- 県外から来た私たちのような人も受け入れ、地元の方々と共に手を合わせることができる「がんばろう!石巻」に感謝しています。3月11日は石巻の方々にとって特別な一日。石巻の方々が心穏やかにこの日を過ごすことができるような場を作っていきたいと思います。(県外出身/40代)
寄付金の使い道
皆様からお寄せいただいたご寄付は、「がんばろう!石巻」大看板とその周辺環境の維持・管理費、毎年3月11日に看板周辺で開催している追悼行事「3.11のつどい」の運営費等に、大切に使わせていただきます。
犠牲になられた方々への追悼の想い、ご遺族への想い、残された私たちの「これからもがんばろう!」という想いを込めて、これからも活動を続けていきます。