本プロジェクトは、「高校生が当たり前に挑戦できる町をつくる」ことを目的とした、学校・地域・海をつなぐ実践型の取り組みである。起業を志して尾道商業高校に入学した一人の高校生が、挑戦の場が不足している現状に課題意識を持ち、「環境がないなら自分が一人目になる」と決意したことから始まった。
学校外での学びや地域との出会いを通して、挑戦とは誰かの価値を生み出す行為であると気づき、港・船・空き家といった吉和の地域資源に、高校生が挑戦できる可能性を見出した。そこで本事業では、港から船で人を運び、空き家を高校生・観光客・地域の大人が交わる宿(コミュニティ拠点)として再生し、挑戦が次の挑戦を生む循環型の仕組みを構築する。
すでに地域住民や事業者、議員が賛同し、尾道商業高校においても来年度から授業として正式導入が決定している。本プロジェクトは、偶然生まれた挑戦を次の世代の「当たり前」に変えることを目指すものである。
ストーリー
【志】—— 最初に生まれた、私の決意
私はずっと、
「高校生が挑戦できる町を自分の手でつくりたい」
という強い志を持っていました。
起業したくて尾道商業に入ったのに、
実践の場はほとんどなく、挑戦のきっかけは見つからない。
だから思ったのです。
「環境がないなら、まずは自分が一人目として道をつくる。」
この志が、すべての始まりでした。
【師】—— 尾道商業で起きた最初の奇跡
そんな中で出会ったのが、
教室の外へ連れ出し、地域とつないでくれた先生。
その先生は、
「高校生でも挑戦できる世界がある」
と教えてくれた、最初の“師”でした。
この先生との出会いが、最初の奇跡です。
【価】—— ユースセンターズで価値観がひっくり返る
先生に連れて行ってもらったユースセンターズオノミチで、
私は “価値のために働く大人たち” に出会います。
お金ではなく、人のため、地域のために動く大人たち。
そこで私は初めて、
「挑戦とは、誰かの価値をつくること」
だと気づきました。
これが二つ目の奇跡です。
【海】—— 港と船の可能性に気づいた瞬間
そして三つ目の奇跡。
それは “海” が持つ力に気づいたことです。
港があって、船があって、
町と海と人がつながる導線が吉和にはある。
「ここには高校生が挑戦できるフィールドが眠っている」
その言葉で、私は地元の可能性をはっきりと理解しました。
【場】—— 奇跡を「偶然」で終わらせないための仕組みづくり
3つの奇跡は偶然でした。
でも私は、
次の世代には偶然じゃなく“当たり前”に挑戦できるよう、
仕組み=挑戦の場(スタノバ) をつくると決めました。
【宿】—— 海・学校・地域が一本の線でつながる
吉和には
港 → 船 → 空き家(宿)
という一本の導線があります。
私はこの空き家を、
高校生 × 観光客 × 地域の大人が交わる宿 (コミュニティースペース)に再生します。
ここが、挑戦が始まる拠点です。
【輪】—— 地域の大人たちが動き始めている
すでに多くの大人たちが輪になって支えてくれています。
・議員の山根さん
・太田建設さん
・遊漁船の島谷さん
・漁師さん
・地域のおじいちゃん、おばあちゃん
みんなが口をそろえて言います。
「若い子が挑戦できる町に戻したい」と。
【学】—— 学校も賛同。来年度から授業として正式導入
ありがたいことに、
尾道商業高校の先生もこの挑戦に賛同してくれました。
そしてこの取り組みは、
来年の授業として正式導入 されることが決まりました。
地域も、海も、学校も。
すべてが一本につながり始めています。
【循】—— すべての課題を循環して解決する町へ
高校生の挑戦
→ 空き家の活用
→ 若者の流入
→ 地域の活性化
→ 新しい挑戦の誕生
この循環が回れば、
吉和も学校も学生も、一気に前へ進みます。
【連】—— 挑戦が連鎖する町をつくりたい
港に船がつき、
船が人を宿へ運び、
宿で人がつながり、挑戦が生まれ、
その挑戦が次の高校生を押し出す。
挑戦が挑戦を呼ぶ町をつくりたい。
尾道商業で起きた奇跡。
ユースセンターズで起きた奇跡。
港で気づいた奇跡。
そのすべてを、
次の世代の「当たり前」にするために——
このプロジェクトは生まれました。



