ストーリー
2002年にかものはしプロジェクトを立ち上げて、
2009年にカンボジアに移住してから、もう16年になる。
最初の頃は、「パッとしない国際協力を俺たちが変えてやる」と、
だいぶ生意気なことを思っていた。
でも続けてみると、華やかなことなんてほんの一部で、
本当に必要なことは、たいてい地味でわかりづらいところにあるんだとわかった。
はじめは人身売買を止めるために「雇用だ」と思い、IT事業を始めた。
都会でパソコン教室を開いたけれど、
本当に課題があったのは、電気も仕事もない農村部だった。
だからITをやめて、貧困家庭の女性たちが働ける工房をつくった。
街でお土産を売るところから始まり、
やがてブランドになって日本やアジアにも広がった。
国の発展もあって子どもが売られることは減ったけれど、
貧困も教育格差もなくなってはいない。
だから今は「人を育てる人」を支え、 教育の力で社会を変えようとしている。
工房は実験校と名前を変え、
かつて工房で働いていた女性たちの子ども世代が、
今はその場所で学びにくるようになった。
これまで16年やって来れた理由
カンボジアへの移住は、人生の中でも「意思決定ベスト3」に入る。
ただの外国人の僕が、ホームタウンと思ってしまう懐の深さがある。
一番長く住んだシェムリアップでは、
オレンジのバイクにちなんで「ジャパニーズ・NGO・オレンジズーマー」。
毎年12月は着ぐるみでマラソンを走り、
今日もオフィスでバレバレのサプライズバースデーを仕掛けられている。
長くて苦しく、「意味あるのか」と思う日もあったけれど、
なんだかんだご機嫌にやってこられたのは、
このあたたかなカンボジアで過ごしてきたからだと思う。
途中で何度か潰れそうになった(僕自身も、団体も)。
それでも一緒に笑って、走って、また立ち上がる仲間ができた。
気づけば、ずいぶん長い旅になっていた。
これからもカンボジアの仲間たちと、
同じように淡々と、でもしぶとくやっていきたい。
そのために、今年は誕生日ドネーションを立ち上げました。
集まった寄付は、SALASUSUでの活動、
カンボジアの先生たちの学びの場づくりに使わせてもらいます。
この16年の旅の続きを、
「なんかまだやってんのか」と思いながら見てくれたら、
それだけでうれしいです。