「ここにいてもいいんだ」って思えた場所──ユアセルと出会って
2025/6/23 10:41

僕のこと
僕には吃音症があり、社交不安障害やうつ病といった二次的な障害を抱え、障害者手帳を持っています。
これまで僕は、社会の「普通」と言われるものと向き合いながら、その「普通」になれない自分をずっと責め続けてきました。
「あたりまえのこと」を「あたりまえ」にできない。
話すことが怖くて、人と関わることが苦しい。
そんな自分に、無力感や自己否定がどんどん積み重なっていきました。
ユアセルとの出会い
ユアセルと出会ったのは、2024年の5月頃。
当時の僕は、札幌で就労移行支援事業所という障害福祉サービスを利用していました。
心の奥にあったのは、深い孤独感でした。
社会の「本流」から外れているという疎外感。
働いていない、社会に「貢献」していないという罪悪感や劣等感。
そして何よりも、「自分は誰からも必要とされていないのではないか」という、痛いほどの孤独でした。
少しスケールの大きな話になりますが、僕は、人は誰しも生きている中でずっと「生きる理由」を探しているんじゃないかと思っています。
たとえば
「家族のために」「子どもを育てるために」「親の介護をするために」。
そんな“使命感”が、生きる理由になることもあるでしょう。
あるいは、“仕事”という役割が、それを支えてくれる人も多いと思います。
仕事があるから、朝起きる理由ができる。
食事をとる理由ができる。健康でいようと思える。
何より、「誰かに必要とされている」という感覚が、自分の存在を肯定してくれる。
でも当時の僕には、そのどれもありませんでした。
何の役にも立っていない。誰からも必要とされていない。
そんな思い込みに囚われ、「生きる理由」なんて、どこにも見つけられなかったのです。
ありのままでいいということ
ユアセルという団体には、それぞれ違った想いや背景を持つメンバーが集まっています。
けれど、僕にとってのユアセルの本質は、「その人を、そのまま受け入れてくれること」だと感じています。
何かができるようになることや、前向きに頑張ることを求められることはありませんでした。
変わることを強いられるわけでもなく、ただ「今のままの自分」で、そこにいるだけでいい。
そんな空気が、ユアセルには確かにありました。
ユアセルは、「存在そのものを肯定してくれる場所」です。
何者かにならなくてもいい。
評価を下されることもなく、ただ「あなたはあなたのままで価値がある」と見つめ、認めてくれる。
それは、きっと「愛」なのだと思います。
今の僕には、明確な夢やゴールはありません。
でも、「ここにいていい」と思える場所があるだけで、人は強くなれる。そう感じています。
あなたも、ユアセルと一緒に、この世界にたくさんの“愛”を届けてみませんか?
ユアセルメンバー ゆーと
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