バスで移動する
2025/3/15 10:51

昨年のIMPACT National Conferenceとは異なり、今回はカンファレンス前後にフェアトレードやエシカルなお店を訪問したり、アフリカ系の住民の歴史や先住民の歴史がわかる場所を訪れたり、はたまた以前知り合った活動家の友人たちに会い、等身大の人々がどうアメリカ社会で生きているのかを学ぶ機会にしたいと考えました。
IMPACT National Conferenceは3月1日19:30に終わったので、急いで荷物を預けていたホテルに戻りました。以前にお知らせしました通り当初予約していたホテルが泊まることができなかったため、値段が2倍以上高いホテルを急遽とったため、予定していた日数では到底予算オーバーになるため、1日宿泊を減らして、ワシントンDCのホテルをとり、夜にリッチモンドからワシントンDCに移動することにしました。(DCのホテルは、リッチモンドのホテルの2分の1以下でした。)
ただ、問題になったのがリッチモンドからワシントンDCまでの移動です。飛行機だと3-4万円、Amtrak(鉄道)は2万円程度、そして、高速バスは1万円未満。飛行機はなく、鉄道を当初は考えていましたが、なんと鉄道よりも高速バスの方が早いことが判明。ただ、日本語の旅行サイトでは、特に私が利用予定だった高速バスは治安が悪い、変な人が多いという情報が多く、やや悩みました。
多くの記事にはバスステーション(高速バスが停車する場所)は警備員はいるが、路上生活の方や麻薬中毒の方がいて、特にトイレなどは使用しないほうがよいという情報でした。バスステーションの滞在時間を最低限の20分程度になるように、Lyft(Uberみたいな配車アプリ)で移動しバスステーションにつきました。
20:20発のバスだったので、20:00ごろに到着。バスステーションには白人のシニア夫婦らしき方々、白人の青年、ヒスパニック系の方、アフリカ系のシニアな方、インド系の青年、中華系の若者、警備員らしき人、そして、路上生活と思われる人々がいました。特に絡まれることはなかったですが、おそらく衣服を選択していないであろう匂いが一部で漂っていました。
ベンチに腰掛け、バスの到着を待っていたのですが、20:20になっても全然バスがこない。事前にブログなどでバスが1時間程度遅れることはあるという情報を知っていたので、まぁ遅れるのだろうと思い、ひたすら待ちました。
バスを待っている際に、スケートボードを持った白人の青年と目が合う。スケートボード好きはパンクロック好きという偏見があり、「かっこいいスケートボードだね。私がもっと若かったら試したいものだ。」と話したら、相手も答えてくれた。やはりパンクロックは好きなようで、The offspringやBad Religion、MxPx、NOFXなど音楽の話をした。青年は映像制作のアーティストで、初夏には乗り継ぎのために日本にも来るそうだ。
そんなおしゃべりをしつつ、気づくと20:40になっておりバスが到着。しびれを切らした他の乗客たちがバスに向かって歩き運転手に話すと、20:20発のバスではなく、次のバスでした。運転手は予定された乗客しか乗せれない。追加でチケットを買うのであれば乗せられるとのこと。何名かの乗客たちはチケットを新たに買いなおして乗っていきました。
文句を言う乗客もいましたが、まぁいつかは来るだろうと私はベンチに戻り、しばし待つことに。するとバスのゲートがなにやら騒がしい。人が大きな声で叫ぶ声が聞こえた。目を向けると、警備員らしき人が若者を抱え、慰めるようにベンチに誘導していた。若者がひどく動転しているようで泣いているようにも見えた。しばらくして、突然立ち上がり、バスステーションのドアの方に走っていってしまい、警備員がそれを追っていった。
その後、21:00ごろになってバスが到着した音がしたので、ゲートに向かうと、20:20発のバスが到着した。アプリで乗車チケットを見せ、トランクにキャリングケースを乗せて、座席についた。しばらくすると他の乗客も座席につき、バスが発車した。
ひやりとしたのはバスがバスステーションの敷地を出る際に、救急車とパトカーが赤色灯を灯しながら数台止まっていた。バスステーションの向かいには、他のパトカーが停車しており、2人の警察官が若い男性を腰の位置で手錠をかけ、拘束している姿もあった。警備員に抱えられた若者のことがよぎった。何か関連があるかわからないけれども、トラブルがあったのかもしれない。
その後、バスは高速道路を走っていった。ワシントンDCに近づくにつれ、バスの室内は冷え込みが増していった。私はバスの運転手が嫌がらせで冷房を入れているのではないかと思ってしまったが、2時間ほどでワシントンDCのUnion Stationについて気づいた。ワシントンDCの気温がリッチモンドに比べて10度以上低く、マイナス3~4度だったのだ。(心の中でバスの運転手に謝罪をした。)
なお、リッチモンドからワシントンDCの移動は特殊だったけれども、その後、ニューヨークからボストンも同じバス会社のバスで移動した。ニューヨークからボストンの移動は4時間ほどのバス旅だったが、治安が悪いと感じたこともなく、日本の高速バスの旅と同じような感覚だった。バスステーションの状況や路線によっても違いがあるのだと思う。
バスでの移動は自体は節約のためだったが、そこにいる人々の暮らしを知る機会にもなった。バスの利用者は、BIPOC(黒人、先住民、有色人種などの白人以外)の人々が圧倒的に多く、またリッチモンドのバスステーションに限れば、路上生活と思われる人はアフリカ系の人しか見受けられなかった。リッチモンドの街中でも路上生活の方を見かける機会はあったが、そこでもアフリカ系の人しか私は見なかった。もちろん、白人(またその他の人種)でも路上生活の方はいるだろうし、アフリカ系でも富裕層はいるだろう。ただ圧倒的に傾向として人種と所得のつながりを意識する機会は多かったし、そうした日常の連続にあれば、「特権性」について問題意識が育まれる機会も多いのだろうと感じた。
近年、日本では比較的フェミニズム運動が盛んになっているという印象を私は持っているが、日常や暮らしの中で否応なく意識する機会が多いからこそ、運動の機運は高まるのだろうとこうした経験から感じた。
リッチモンドでは、African History Museumを訪問した。特別展では医療業界でキャリアを築き、アフリカ系の医療アクセスに貢献した人々の展示もあった。人種や宗教によって社会の中で排除をされてしまう時代があったからこそ、こうした一人ひとりの変革の担い手にスポットライトをあて、全体の意識をエンパワーメントする必要性があるのだと感じた。
また、ちょうど、2月はBlack History Monthだった。フィラデルフィアの教会の前にはこんな垂れ幕も掲げられていた。
社会問題は教科書にあるものではなく、暮らしの中にある、そんな当たり前のことを改めて突き付けられるようだった。
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