わたしの宝もの
2019/12/14 00:11
娘は生後50日頃「1型糖尿病」と診断されました。
「この病気は現在の医学では治りません。一生注射が必要です」
こう宣告された時、私は「この子の人生は終わった。きっと、この子は幼稚園にも入れない、小学校にも入れない・・当たり前の人生なんて送れないんだ。」と絶望で頭が真白になり毎日泣き暮らしていました。
発症の原因はわかっていない。と言われていましたが「私が年取ってから産んだから…この子がお腹にいる時に風邪ひいて熱だしたから…」と自分を責めていました。
入院していたのが産科と同じフロア―だったのでお腹の大きいお母さんをみると「またお腹に戻して産み直してあげたい。」と思ったりもしました。そして幸せそうなお母さんが羨ましくもあり、妬ましくもありました。
この当時のことはあまり思い出したくありません。引きこもって、後ろ向きでとても嫌な自分でした。
幼稚園児になれた娘があるとき
「ねぇお母さん。〇〇(娘の名前)の病気治ると?」と聞いてきたときに
(とうとう来たか)
とうろたえましたが、平静を装って「今はね、治す方法の見つかっとらんとよ。でもね、同じ病気の人でもミス・アメリカになった人とか野球選手になった人もおらすとよ。パイロット以外は何でもなれるとよ。」と話しました。
(※現在では、1型糖尿病のパイロットも誕生しています)
当の娘は分かったのか分かってないのか…泣かずに聞いてくれたことだけが救いでした。
「一生治らない」
なんて絶望的で残酷な言葉でしょうか…これを我が子に、大切な家族に伝えなくてはいけない。そんな辛い思いをする人はこれ以上増えなくていい。
もし今後かわいいわが子が、家族が、「1型糖尿病です」と宣告された人も、せめて「でも治りますよ」とひと言添えられたら、どれほどの人が救われるでしょう。
私たち患者家族の想いも研究者の方々へ託します。
「どうか叶いますように」
事務局 N.T
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