【経過報告とお知らせ(2024年7月18日)】
目標金額を上回るご支援をいただき、本当にありがとうございます。
いただいたご支援は、当初の予定通り「図書館では借りられない書籍の購入費用」と「Podcast等のコンテンツ制作の専門家への相談費用」に充てさせていただきます。さらなるご支援をいただけた場合、「コンテンツ制作費用そのもの」にも充てさせていただければと思います。引き続き、ご支援のほど、よろしくお願いいたします。
ストーリー
みなさま、いつもお世話になっております。NPO法人れんげ舎・代表の長田英史(おさだてるちか)です。れんげ舎は、おかげさまで団体設立28周年を迎えました。バースデードネーションへのご協力をお願いしたく、こちらのページを作成しました。
※画面下の「寄付して支援する」ボタンで300円からご寄付(れんげ舎への誕生日プレゼント!)が可能です。
大スベりの四半世紀・・・スベりまくるれんげ舎に力を!(支援のお願いとこれまでの歩み)
れんげ舎は、阪神大震災の翌年、1996年7月に設立されました。バブル崩壊後の閉塞感の強い時期であり、地下鉄サリン事件の翌年でもありました。そんななか、世の中に全然フィットできない、スベりまくりの活動がはじまりました。
当たり前じゃないから場をつくる(1990〜)
れんげ舎の活動のはじまりは「子どもの居場所づくり」です。週末は小学校の空き教室に、平日は築40年のマンションの一室に、子どもたちが集まってきました。
当時、「学校でも家庭でもない子どもの居場所」というコンセプトは大スベり!1990年代初頭の日本社会では「そんなもの必要ないよ」「居場所づくり? 何それ!」と笑われました。今でこそ居場所やサードプレイスの存在・必要性はすっかり当たり前になりましたが、当時はまだそういう時代でした。
資金がなさすぎてカフェをつくる(2002〜)
もうだいぶ前、れんげ舎はカフェをやっていました。慢性的に不足している活動資金を得ることと、地域との自然なつながりが生まれることを期待しての挑戦です。
金魚玉珈琲と名付けられたその小さなカフェは15年間営業を続け、その役割を終えて閉店しました。正直、活動資金の捻出方法としては効率が悪すぎたし(店の維持だけで大変!)、スベったり転んだりで本当に大変な営業だったけれど、多くのつながりと経験を得ました。教育運動っぽい狭い世界にいた自分たちにとって、商売の経験は得がたいものでした。
自分発の「場づくり」を応援しまくる(2010〜)
「場づくり」を教えてほしいという依頼をいただいたのが2010年です。多くの人たちが「地域での場づくり」に参加するようになり、自治体もそれを後押しするようになりました。
イベントを開催する、居場所や拠点をつくる、団体を設立して運営体制を確立する、居心地の良い場をつくる──われわれの血肉となっている「場づくり」のノウハウが多くの人に必要とされていることに気づきました。そこで、自分たちの知識や経験を徹底的に分析し、体系的なコンテンツにまとめ直して、それを伝える事業を始めました。
れんげ舎が時代にフィットしている?スベってない!?そんな風に思われ、逆に気味が悪かったのを思い出します。実際、仕事が増え、活動の幅が広がり、講演や講座は多いときで年間150本ほどになりました。
われわれの活動の原点「子どもの居場所づくり」は、いわば総合芸術です。もちろん場所があるだけでは成立しません。形だけ整えた場では、嘘のない子どもたちの前では確実にスベります。そこが本当に子どもの居場所になるためには、その場を支える大人どうしが信頼関係でつながっていなければならず、そのためには大人のための場が必要です。単なるつながりではなく、自治が介在する必要があります。場をつくり整えるためには、こうしたホリスティックな視点が不可欠です。長年「子どもの居場所づくり」に全身全霊で取り組んできたことで、自然と場づくりの力が身につきました。
普通をやることの絶望を表明できる社会に(2024〜)
スベってないかもと喜んだのも束の間、やっぱりスベっていると自覚したのは、コロナ禍の少し前でした。自分たちの提供している「場づくり」のコンテンツが、上滑りしていると感じたからです。
わたしたちの伝える「場づくり」は、集まった人々が自分らしく呼吸することができる場をつくるための体系です。でも、"まちづくり"や"ソーシャルビジネス"などが盛んになるなかで、「場づくり」のノウハウばかりがもてはやされ、人を大切にすることが重視されない別の文脈でも利活用されるケースが増えてきました。流れにのっているつもりが、流されていたのかもしれません。
その反省から2022年に中野に拠点を移し、「生き方開発lab」を設立しました。「場づくり」を「生き方」の問題とつなげて、新しくて自分らしい生き方づくりに取り組むための拠点です。2年に及ぶ試行錯誤、切磋琢磨、脳みそが溶けそうになるくらい考え抜くなかで、自分たちのやるべきことが見えてきました(←今ここです!)。
「絶望」を口にすることができない社会はおかしい
日本社会の「普通」って、かなり無理ゲーです。普通を普通にやるのって、並大抵なことではありません。昭和の日本では「普通」が幸福につながるのは当然だと見なされていましたが、平成を経て、令和の日本では「普通」をやろうとすると、時に絶望感を味わうことになります。
・普通に子どもを生んで、普通に育てる
・普通に会社で働いて、普通に稼ぐ
・普通に進学して、普通に就職する
私はちゃんとやっている、という人もいるでしょう。もちろんそれならそれでいいのです。すごいです。でも、「普通」をやろうとした結果、自分を見失うほどのダメージを受ける人だって、大勢いるはず。それなのにこの問題が可視化されないのは、そこにある状態が「普通」だと見なされ、スルーされるからです。それに、もしそういう絶望感や、「もっと自分らしく楽しく生きたい」というような根源的な願いを口にしようものなら、こんな言葉が返ってくるかもしれません。
だから、口にできない。でも、このままでいいはずがありません。
子どもたちに「嘘っぽい希望」を強制したくない
絶望を感じながらも生きられるのは、代わりに「嘘っぽい希望」をあてがわれているからです。
現在の社会では、子どもたちに理想的な未来を描かせる一方で、その未来が実現可能かどうかについては正直に語られないことが多いですよね。子どもたちに嘘っぽい希望を押し付けるのではなく、現実の厳しさを知り、それにどう立ち向かうかを一緒に考えるべきだと思うのです。
れんげ舎では、「普通にやれない個人の問題」だとスルーされる事柄を、絶望の構造を調べ発信することを通して正面から受け止め、その中で新しい希望を見出すための活動を展開しています。
・絶望や心からの願いを表明できる場をつくります(Podcastからリアルな場へ)
・絶望の構造を調べ、社会問題として捉え直します(書籍・論文・白書などを読み分かりやすくまとめてシェアします)
・小さな社会実験・実践の場づくりにつなげます(新しい未来をプロトタイピングします)
【いただいたご寄付はこんなことに使います】
このタイミングであなたから頂戴したご寄付は、いま特に費用負担が大きくなっている、下記のことの大切に活用させていただきます。
・書籍購入費用(図書館では借りられない書籍の購入費用がかさんでいます)
・専門家への相談費用(Podcast等のコンテンツ制作に専門家の助言を必要としています)
「れんげ舎の誕生日をお祝いしてあげよう!」という方、「活動の行く末を見守っているよ!」という方、「自分も活動に参加したいぞ!」という方、そしていつも様々な形でつながってくださっているみなさま、大変恐縮ですが、ぜひご協力をお願いします!