出産は女性の心身に大きな負担がかかるもの。一方で、教育・啓発の不足から、産む本人も、そのパートナーも、産後の心身にどんなことが起きるか知らずに産後を迎えてしまうことが多く、その結果、母体の危機、赤ちゃんの危機、産後が起点となる3大危機(産後うつ、乳児虐待、夫婦の不和)が社会問題になっています。また、本人の産後ケア不足で心身の状態が整わないため社会復帰が叶わない、というのも大きな社会的損失です。本記事は、そんな産後ケアに取り組むインストラクター自身のストーリー。どんな想いから、インストラクターになろうと決めたのか。どんな想いで産後ケアプログラムを提供しているのか。背景と想いについて聞きました。
ストーリー
看護師からの転身
インストラクターにチャレンジする前は、15年間、北海道オホーツクで看護師として働いてきました。
元々音楽が好きで、音楽療法をやりたいなと思ったのが看護師を目指したきっかけです。
病棟勤務で、婦人科・泌尿器科、耳鼻科、脳外科と経験を積みました。
3回の出産で産休・育休を取得しましたが、復帰してからも月2回は夜勤するような生活。
その間は家事や育児は夫に担ってもらいました。
長女は9歳の小学3年生、次女は7歳の小学1年生、長男は4歳の年少さん。
パートナーは調理師をしています。
第二子産後まで飲食店勤務で夜遅くに帰ってきていたのですが、第三子出産後にケーキ屋さんに転職したため、帰りが早くなって家族全員で夜ごはんを一緒に食べられるようになりました。
第三子産後以降は対話も増え、お互いやりたいことを大切にできるようになって、応援し合う関係になってきた実感があります。
楽観的に考えていた産後
第一子を出産するまでは生まれるまでのことばかり考えていました。
子どもを欲しいと思ってからなかなか授からなかったのですが、少しだけ内服治療などもして授かることができました。
生まれた直後は我が子が隣にいることに、なんとも言えないあったかい気持ちになったのを覚えています。
ただ産む前に楽観的に考えすぎていたので、産んでからがしんどかったです。
当時は夫の帰宅が夜中になる仕事だったので寝かしつけまでワンオペ育児になって、一人で色々抱え込んでとても辛かったんです。
産後2、3ヶ月の時は昼夜眠れず、常に睡眠不足。
自分の時間がなく、いつトイレにいけるんだろうと思っていました。
赤ちゃんの育児記録もほとんどとる余裕もなくて、いま振り返ると本当に大変だったなって。
そんな思いをしながら迎えた第二子。
その産後のときに、大学同期に誘われたことがきっかけで、初めてマドレボニータの教室に参加しました。その時に産後ケアという考え方も知りました。
第一子の産後は「産後ケア」も知らず、一人で頑張ってしんどかった。
第二子のときに産後ケア教室に出会い、第二子、第三子産後には、都内在住の吉田紫磨子インストラクターの出張両親学級にも参加しました。
この知識を誰か教えてくれれば良かったのにって思いました。「私の第一子“産後”を返してくれ」と(笑)
適切な時期に取り組む産後ケアの大切さを知っていたり、今はまわりの人をちゃんと頼ろうと腹を括ることができれば、産後の辛さも軽くなるのではと感じます。
「誰もいないなら私がインストラクターになる!」
教室に通い始めたのと同じ2015年、オホーツクのインストラクターが転居してインストラクターが不在になりました。
第三子のときにもう一度産後ケアを受けたいと思ったので、何とかしてインストラクターを招致できないか?と考えました。
そこでマドレ・オホーツクの存在を知ったんです。
※マドレ・オホーツク:北海道オホーツク地域を中心に、産後ケアを届けたいという思いで活動している市民活動団体
そこにはマドレボニータの産後ケアを愛してやまない熱いOG達がすでにたくさんいて、マドレ・オホーツクにボランティアとして参加したところから、私のインストラクターへの道は始まっていました。
とはいえ、勢力的過ぎるほどの仲間と活動できるだけで楽しかったですし、看護師としての仕事も好きだったし、子どもが3人いる現状を考えても、ボランティアで活動しつづけることに当初は何の抵抗もありませんでした。
でも、産後ケアのプログラムを知ったり、マドレボニータの活動について書いている書籍(『マドレジャーナル』など)を読んでいくうちに、どんどん沼にハマり(笑)
インストラクターの養成集中講座にどうしても参加してみたくなって東京へ行ったり、『マドレデー』というマドレボニータに関わる方が多く集まるイベントにも参加してみて、そこにいる人たちが本当に素敵で、さらにのめり込みました。それでも、看護師の道を絶つ勇気はありませんでした。
でもコロナ禍で、これまで会うことのできなかった本州のインストラクターにもオンラインで会うことができるようになって、なにより自分自身がコロナ禍の緊張から救われて心が元気になりました。
出会うインストラクター一人一人が個性を持った魅力的な存在で。
改めて、この人達と一緒に仕事がしたい、自分も『産後』を起点にまわりの人をエンパワメントできるような存在になりたい、と強く思うようになって、インストラクターに転身する決意が固まりました。
わたしも素敵なインストラクターになって、オホーツクでも女性が適切なタイミングで産後ケアを受講できる可能性を増やしたいと思っています。
産後女性以外にも産後ケアを知ってもらうために
インストラクターとして、地域のイベントとコラボレーションするなどして、産後の当事者以外にも「こういう産後ケアがある」と伝え、地域全体で産後ケアという文化を定着させることができるように活動していきたいです。
たとえば、産前産後の女性だけではなく、シニア層の方たちにもバランスボールエクササイズを日常の身体作りとしても取り入れられるようにレッスンを行ったり。
レッスンをするなかで、産後ケアについて、これからおじいちゃん、おばあちゃんになる方にも伝えていって、そのご近所さんにも紹介していただけるといいなと思っています。
あと、行政や産前産後に関わるお仕事をしている方にも、バランスボール教室にご参加いただいたり、イベントを一緒に開催して、『産後ケア』というものがもっと地域の方の目に触れるようにしていきたいです。
『産後ケア/マドレボニータ』を通して、日本のお母さんたちに「全部一人で抱え込んで、頑張らなくていい」と伝えたいです。もしも困ったら「困った!」と発信していいと。
わたし自身、みんな同じように頑張っているんだから、私もこの大変さを何とか耐えなければ・乗り切らなくては・・・とずっと気を張っていました。
それがマドレに出会って、産後は“委ねる”機会だと知ることができた。
初めての子育ては、育て方がわからない・・・ということを誰かに相談するのもはばかられました。
駄目な母と思われたくない、看護師という立場で習っていることなのに出来ないと言えない・・など、どこか変なプライドにも押しつぶされそうになっていたのかも知れません。
でも“今、凄くしんどい。だれか一緒にランチしながらでも話を聴いて欲しい”とか“育児と家事の両立がつらい。誰かにこの家事を変わって欲しい。誰かに少しでいいから抱っこを代わって欲しい。”
そんなことを、周囲にこぼして、誰か手伝って!という発信をしてもいいんだと理解していきました。
わたしからも参加者の方に「産後は、委ねる練習のチャンス。一人では無理しないように!」と伝えたいと思っています。
日本は、なんでも自己責任で、助けを求める文化があまりないのではないかと思うので、産後こそ声を出せるようにしていきたいですし、そのためにも私自身も地域の方との繋がりの中で、こうして子育てで助けられているとか、こういうヘルプをさせてもらった、という発信をしていきたいと思います。
産後ケア教室 12月より新規開講です
産後ケア北見教室
産後のバランスボール北見教室
https://ameblo.jp/you-go-girl-fun/
日時:毎週水曜 10:30−11:30
場所:MOA北見センター
北海道北見市柏陽町577−95
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