世界の医療団のロヒンギャ難民プロジェクト発起人を変えた"事件"とは?
2021/12/29 18:31
今回は、世界の医療団でロヒンギャ難民プロジェクトを立ち上げられた、OBの玉手さんにインタビューしました!第一弾は玉手さんが世界の医療団と出会うまでの内容です。
*自己紹介をお願いいたします!
こんにちは。私は世界の医療団を3年前に退職しております、OBの玉手を申します。
世界の医療団在籍時にはプロジェクトコーディネーターとして、ロヒンギャ難民プロジェクトの立ち上げとコーディネーター業務に従事しておりました。現在は福島在住で、今は人道支援には携わっておりません。
*世界の医療団に関わる前はどのようなことをされていましたか?
もともとIT系の会社にいて、ビジネスのために米国に頻繁に出張しておりました。
定年が近くなるときに、違ったことがやりたくなり、アフリカ支援のNGOに入職。アフリカはケニアのソマリア国境に近いところで、プリマリーヘルスコーディネーターとして現地に2年ほど出張して任務に従事しました。
そうこうしているうちに、311(東日本大震災)の事案が起きてしまって、今度はアフリカよりも日本が心配になったんですね。そこで、世界の医療団の福島支援のプロジェクト(「福島そうそうプロジェクト」)に入りました。
そのとき、福島支援では心のケアを中心に被災地の方々を支える活動をしていたんですが、その手ごたえから「(人道支援においては)心のケアの方に携わった方がいい」と思いました。その後、熊本の震災があって、同じようにすぐに飛んでいきましたね。
そうこうするうちに、ロヒンギャ難民のことは、TVなどのニュースで見ており、とても気になるようになっていきました。
*世界の医療団とはどのような経緯で出会ったのでしょうか?
5~6年前当時、事務局長だった方と理事長と共に、ロヒンギャ難民プロジェクトを立ち上げました。当時はバングラディッシュで口の病気(口唇裂口蓋裂)の手術のPJTをやっていたんですが、そのときの事務局長が現地に行って、情報収集をした後、担当が現地入りしました。
170万人があつまるメガキャンプというところで、最初は現地スタッフがいませんでした。プロジェクトコーディネーターとしてプライマリ・ヘルス・ケア(キャンプの一次医療:全ての人にとって健康は基本的人権であることを認め、それを達成するプロセスに住民が主体的に参加し自己決定を行う権利を保障した方法論)に取り組み出しました。それと並行して、フランスの診療所にリファーをして、医療従事者の派遣を待ちました。
その後、木田さんにメディカルコーディネーターとしていっていたただきました。ものすごく関係構築力がある方で、現地に溶け込む力がすごかったのを憶えています。現地の方と同じ服、同じ食事、同じ言葉を話すことを積極的に取り組んでいましたね。昔ラオスで仕事をしていたときは川魚食べるんですが、川魚はくさみがあるので私はなかなか食べられませんでした。しかし、木田さんはばくばくと食べていたので、すごいな、と。
ロヒンギャの人を育てて、ロヒンギャの人が同胞を育てられるようにすることに貢献してくれていました。
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明日は、玉手さんがロヒンギャ難民支援プロジェクトに参加するまでのレポートをお届けしますので、お楽しみに!
キャンペーン期間も残すところ3日となりました。
ぜひ、本キャンペーン成功に向けてご協力ください!
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