ロヒンギャ難民支援プロジェクトで奮闘するプロジェクトコーディネーターが歩んだ20年の国際協力の道
2021/12/27 18:20
今回は、世界の医療団でプロジェクトコーディネーターとして今も現地で奔走している中嶋にインタビューしました!第一弾は中嶋がロヒンギャ難民支援プロジェクトに参加するまでの内容です。
*自己紹介をお願いいたします!
こんにちは。世界の医療団ロヒンギャ難民支援プロジェクトにて、プロジェクトコーディネーターを務めております中嶋と申します。現地では、現地連携先団体との協議・折衝・彼らの能力向上支援、会計・ロジ管理、他NGO等関係者との調整、安全管理を担当しております。
*世界の医療団に関わる前はどのようなことをされていましたか?
実は、この国際協力の現場にはもう20年近く携わっています。世界の医療団を除いて、これまでに4つのNGOに関わって参りました。
初めて国際協力に足を踏み入れたのは2003年で、AMDAという医療・保健衛生分野を中心に災害や紛争発生時の緊急人道支援や開発支援を行うNGOにおりました。当初はバックオフィスの仕事がメインで、本格的に現地へ赴任したのは2004年のことです。ミャンマーに数ヶ月間駐在し、それから「プロジェクトマネジメント補佐」や「プロジェクトマネージャー」としてスリランカやインドネシアにも派遣され、内戦により傷ついた地域の保健体制復興支援に携わり、現在のポジションである「プロジェクトコーディネーター」の前身となる経験を積んで参りました。
その後AMDAを退き、開発コンサルタントとしてJICA業務を含んで5年、REALs(旧:日本紛争予防センター(JCCP))という紛争・テロ・社会的な暴力の解決に努めるNGOに3年、JENという紛争や自然災害で厳しい状況にある国の緊急・復興支援活動を行うNGOに2年、そして医療・人道援助活動を行う国境なき医師団というNGOにも2年程在籍しました。
*国外での活動経験が長いですが、途上国支援を続ける理由は何でしょうか?
これについては、まず原点的な理由が一つありまして、私の高校時代まで遡ります。当時アメリカの著名なアーティストたちが参加した「USA for Africa」というプロジェクトの中で、深刻化していたアフリカの飢餓救済のためのチャリティーソングである「ウィ・アー・ザ・ワールド」がリリースされたのですが、若かった私はそれにとても影響を受けました。やりたいことをやろうとパワーをもらったと同時に、このチャリティソングを通してあらためて世界で起こっていることに触れ、途上国支援にも関心をもつようになりました。
また、途上国の方が赤裸々に貧困や格差、暴力・不平等が見えることも理由の一つであると考えています。そしてそんな不条理を知ったからには、自分の経験や力を最大限活用して、少しずつでも途上国の人たちに貢献したいと考えています。
*世界の医療団と出会いや接点について、もう少しお伺いできますでしょうか?
世界の医療団には昨年の2020年に出会い、現在のロヒンギャ難民支援プロジェクトに従事しております。
これまでの約20年の経験の中で、保健分野支援に携わることが多かったため、その点で世界の医療団のアイディンティティと合致したところもあり、応募して受け入れていただきました。
コロナの状況もあり昨年から現地には足を運べていませんでしたが、今月に入りやっと渡航が許され、今まさにロヒンギャの地におります。
自身が培ってきた経験を少しでも現場に還元させられるよう、尽力して参ります。
<難民がいるコックスバザール着、空港の様子>
明日は、プロジェクトコーディネーターという役割についてお伝えさせていただきます!
そして、キャンペーンも残り5日となりました!
皆様からの温かいご支援、ご協力をお待ちしております。
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