「ボランティア活動はエゴ。世の中なんて変わらないよ」
「なんでお金にもならないのにやるの」
「そんな他のところのことより自分の足元のことが先じゃない」
これは、私が20年以上勤めた企業を辞めたあと、1年間かけて世界を旅しながら各地でNICEのボラティア活動に参加することを話すと周りの人たちから言われた言葉。それどころか活動から帰国したあとも、知り合った学生など若い人たちからも同じようなことを質問されたり言われたりもしました。
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NICEマンスリーサポータープロジェクトチームのkatsuです。
キャンペーンがスタートして40日が経過しました。
ここまで16名の方々が新たにサポーターになって下さいました。ほんとうににありがとうございます。引き続き、ご支援・ご協力をどうかよろしくお願い致します。
実は先ほど冒頭に書いた言葉は今でもよく言われます。
日本では災害ボランティア以外の活動はなかなか理解されていない、とも言われますよね。
それでもやっと最近になり、SDGs、サスティナブル、エシカル、気候変動、カーボンニュートラル、などの言葉がよく聞こえるようになってきましたので少しは変わってきたような気がします。
NICEは1990年に発足しワークキャンプというスタイルをメインとしたボランティア活動が始まりました。日本のボランティア元年と言われる1995年の阪神大震災以前からなので、時代が後からついてきた様にも思えますが、まだまだ理解されないことの方が多いです。
特にNICEがメインとする活動「ワークキャンプ」は特定の地域や社会課題に対してのみ活動するのではなく、
国内を含め世界中の各地の課題に、その地域の人と、地域外の生活環境も習慣も文化も違う様々な場所から集まった人たちが、一緒になって解決に向けて一定期間(1週間〜1ヶ月)の活動をするため、成果が見えにくくそのように思われることが多いのではないでしょうか。
私もNICEの活動に参加するまでは「こんなやり方で何が変わるんだろう」と懐疑的に考えていた一人でもあります。
実際に活動に参加し地域に入り感じたことは、「その地域で歴史的にまたは社会的に長年にわたり蓄積された問題や、大きな権力や思想などにより起こった問題はそんなに簡単に解決できることではなく、それは、たとえ何名・何十名かが数年間滞在し活動したとしても解決できることは少ない。」というものでした。
そして何年間にも渡り現地に入り活動できる人も多くない。
だからと言って誰も何もしなければ現地の人たちや問題は、忘れられ、置き去りになりになってしまう。
しかし、ワークキャンプという活動は、自分の足元のことを犠牲にしてやるのではなく、誰かのために、その地域のために、
「できる人が、できる範囲で、出来るだけのことをやる」
「それを繰り返し、繰り返し、次の人へつないでいく」
というスタイルであり「これなら一人ひとりが持てる時間や出来ることは少なくてもつないで行くことで少しづつでも変えていける」しかも様々なバックグラウンドを持った人たちが集まり活動することは異文化理解と多様性にもつながり、活動した人たちが自分たちの場所に帰ることで、問題が認知されその地域以外にも広がりが期待できる。と、私にとってはとても可能性を感じるものでした。
そしてもう一つ驚いたことが。
そこで出会った人たち、特に若い人たちは私が企業で長く働いている時に見てきた多くの人たちと違い、一歩踏み出す勇気を持ち「誰かのために」「何かのために」行動を起こせる人たちで、私は逆にたくさんの刺激をもらっていました。
いま、新型コロナの感染拡大の影響を受け、人の移動が制限されています。海外から人が来ることも海外に行くこともままならないだけか、国内でもその地域に行くことがはばかられる。そんな期間が2年にもわたります。
NICEもその影響を受けとても苦しい状況に追い込まれました。
それでも、
国内も世界中の地域も課題を置き去りにしたくない。
誰かのために、何かのために、と行動を起こせる人の機会を作り続けたい。
「いまNICEにできること」は何か?
それが「限界集落を元気にする」「里山を守りたい」です。もちろんこの状況下で地域の方々の受け入れられる範囲ではありますが、できることはやろうと活動を継続しています。
そしてもう一つの「いまNICEのやるべきこと」は、いまできることをやり続けながら、来たるべきアフターコロナの全活動の復活に向けて「NICEが存続し続けること」だと思います。
そう考えて私たちは今回のマンスリサポーターのキャンペーンをスタートさせました。
みなさんの支えが活動の継続につながります。もし応援して頂けるととても嬉しいです。みなさまのあたたかいご支援ご協力をよろしくお願いいたします。
NICEマンスリーサポーター
プロジェクトチーム
katsu
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