供養について・現役の住職だから出来ること
2020/12/12 19:02
ご存じの方も多いと思いますが、私は千葉市中央区にある本円寺というお寺の住職であります。
お寺の住職が保護猫活動?という人も多いとは思いますが、少しお話しますね。
まず、仏教は猫に守られてきたと言っても過言ではありません。
仏教の経典が日本に運ばれてきた時、船の中で実際にネズミから経典を守ってくれたのは猫でした。
また、お寺に収蔵されている経典をネズミや虫から守ってくれたのは、やはり猫なんですよね。
一節には、日本には本来猫が存在せず、経典をネズミから守るために船に乗せられて、そのまま日本に来たとあります。
すごいことですよね。
だからといって猫を特別扱いしているわけではありません。
人間も、動物も、植物も、石ころさえ等しく尊い生命を持っているものです。
お寺によって、また住職の考え方によって動物に対する意識は変わります。人間と動物は違うもの、一緒にするわけにはいかないという方もおられます。
「お墓に一緒に入りたい」、そういう言葉も「人間のお墓に畜生の骨は入れられない」と一蹴させられた方も多いのではないでしょうか。
近隣のお寺の住職もそう言っていた事がありました。
心が痛みます。
私はもともとお寺の生まれではなく、中学校を卒業してからお寺に入り修行を重ね現在に至ります。その過程で前述の事柄も多く聞き、仏教はどの様に説いているのかよく調べる事にしました。
幸い私の宗派は日蓮宗で、全てのものに仏性が宿っている。だから全てのものは成仏出来るという教義でした。
もしそれを認めない教義であったら現在お坊さんをしているか分からないくらい大切な事でした。
なぜそこまで動物に固執するかと言うと、小さい頃から、というより生まれた頃には動物に囲まれていた、ある意味動物に色々教えてもらったり、助けてもらった人生であると思うのです。
しかし動物を育てるのは楽しい半面大変な部分も多いものです。
確かに小さい時に動物たちの餌やり等はきついものがありました。北海道の冬の寒い日にウサギのための葉っぱを探し回ったり、猫や犬のために川に釣りに行ったりもしました(笑)
元気でもくもく食べている動物たちも、いつかは死んでしまうんですよね。昨日まで元気でいたはずなのに、次の朝には冷たくなっている。
小さいながらもその生命の重さ、はかなさは人間と同じで、そしてそのために自分は何が出来るんだろうとも思いました。
成仏という言葉もそのあたりで祖母から聞きました。
「ほとけさんになるんだよ」
深い意味はわからないものの、ものすごい安心感がある言葉だったのを思い出します。
そういったのもお坊さんを目指した理由の一つなのかもしれませんね。
今現在私のお寺では、動物に対しての供養の申込みもわりと多いです。
大切な家族の一員、人間と同様にお葬式をしたり、法事もします。一緒に入れるお墓もあります。
「愛されて育って、そしてちゃんと送られて、いつまでも大切にされて幸せだったね。」「家族のために一生懸命生きて、そしてたくさんの事を教えて偉かったね。」と語りかけながらお経をあげます。
ご縁があってこの世に生まれ、ご縁があって家族に迎えられる。
その手助けの一つになり、そして家族が幸せになり、少しずつ世界が幸せになると考えております。
ゆくゆくはそういったお寺が少しでも増え、全国に『こちねこ』が広く広まっていくようにと願い、活動をしております。
一般社団法人こちねこ代表 草切榮隆 拝
追記
この記事を書いている間に「保護猫ほしいんだけど!」というお寺さんが来ました(笑)
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