「自分には自分にしかない魅力があるのだと感じること」について
2020/12/18 11:37
卒業生からのメッセージを紹介します。
子ども達は、自分とは何か、他人とは何か、とても深く考えています。
今までの生徒の中でも人一倍、頭の中でたくさんのことを考えていた生徒の言葉です。
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どんな人の中にもきっと、その人にしかない魅力があって、それはその人を大切に思う人であるとか、その人の周りの人であるとか、そういう人からすればもう、一目瞭然だったりするのかもしれませんが、
しかし不思議なことに、そのことに自分で気づくこと、つまり
「ああ、自分には自分にしかない魅力があるのだ」
と感じることは、極めて難しいことではないでしょうか。
しかも、なかなかそう思えないだけでなく、一度そう思えればあとはずっとそう思い続けていられる、というものでもありません。
昨日はそうやって思えていたのに、今日はなんかもう、自分なんか大嫌いで、消してしまいたい。そんなことだってあるかもしれません。
さらに言えば、どんなことをしたら自分にしかない魅力に納得できるのかと考えると、これには全く答えがないように感じられます。
自分にしかない魅力に納得しようと思ってあれこれしているのに見つからず、ああ、もういいやと諦めた瞬間に見つかることがあるかもしれないですし、あるいは見つけようとして本当に見つかることもあるかもしれません。ひょっとすると、自分とは全然関係のない思わぬところから突然そのきっかけが降ってくるかもしれません。
「自分には自分にしかない魅力があるのだと感じること」の周囲には夥しい変数があるのではないでしょうか。
だから、なんか、この文章を読んでくれている人、ひとりひとりの中に、きっとあなたにしかない魅力があって…みたいなことを言えれば、少しは応援メッセージになるかなと考えたのですが、しかし、やっぱりそれを今の僕の力で伝えるのはとても難しいし、僕は諦めました笑
ただ、なんとなく、文章を書かせていただきます。
故に…(以下あの文章)…という気持ちで読んでください。
ちなみに、ここには「変化する」みたいな事が書いてありますが、変化しなくてもまぁ、いいだろうって思えた状態で変化することを試みられるのは、強いかなって思います(もちろん、変化しないと死んでしまう!!ってくらいの覚悟でがむしゃらに変化を望むのもおもしろいと思います)。
それを踏まえた上で読んでいただけたら幸いです。
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こんにちは皆さん。お元気ですか。
以下の文章は、私が、過去の私に宛てて書いてみたものであり、皆さんに宛てたもの、皆さんに何か伝えるために書いたものではありません。
ぜひ、私が寝ている間に、私の枕元に置いてある日記を盗み見しようと1ページ目を開いたところ、そこにこんなことが書いてあった、どれどれ、面白いことが書いてあるか見てやろう、という気持ちで読んでください。
『変化』
君は変化が好きである。
3ヶ月前の自分には、今の自分を想像することなど、全く不可能であったであろう、というような状態を常に繰り返していくような生活を、その生活の中に十分な1人の時間、あるいは落ち着いていられる時間が確保されていると言うことであれば、君は送っていたいと思っている。
若気の至りの一種であろうか。
とにかく、君は変化が好きである。
意味もなく遠くへ行ってみたいタイプである。
遠くへ行けば良いと思う。
しかし、変化しようと一生懸命になっている時や、あるいは何かに一生懸命になっているために変化している時のことを想像してみると、そこに、沢山の労力を割き、沢山悩んでいる君の姿がひとつ、想起される。
変化のためには沢山の工夫や行動が、多くの場合必要であろうし、それは必ずしも楽な時間ではないように思われる。
変化の過程には数多の悩みや迷いがあるように思われる。
しかし、それはある意味では当然と言えるのかもしれないし、悩んでいることに悩む必要はないだろう。
人生の中にはきっと苦しい時間はあるのであるから、苦しい時間に自分がいることに苦しむ必要はないように感じる。
悩んでも悩まなくてもきっといつかは楽しくなるだろう。
変化の際には、君は何か自分で決断しなければならないかもしれない。
その決断は、必ずしも、「良い方向」へ向かうための決断である必要はないと考えられるが(良し悪しの価値基準は、君の中で数日でひっくり返ってしまうこともあるだろうし、ちゃんとした方向に向かってるのかどうかはそんなに気にしなくていいだろう、そもそも、よっぽど鮮烈なことじゃなければ、良し悪しの区別はつくものでは無いと思う)、君が3ヶ月の単位で大きな変化が生じてくることを望むのであれば、ひとつひとつの決断に対して真剣に向き合い、全力で動いてみることが重要となるかもしれない。
好きにしたらいいだろう。
居心地の悪い場所があれば、するっとそこを去ってもいいだろうし、「ここは居心地の悪い場所だ。何かあったらすぐに避難しよう」と割り切って開き直って、もうちょっとそこで誰もしない・できないようなことを色々実験的にやってみても、何か変わるかもしれない。
どちらの気分でもないということであれば、いずれにせよいつかは終わるその一時をぼんやり眺めていてもいいだろう、何かに気づくかもしれない。
どのような時間も、いつかは終わって次の時間に移っていく。
変化が好きな君にとっては朗報だ。変化好きな性格と時間が組み合わされば、「殆ど何もしなくたって」どんどん色々なことが変わっていく。
その変化を後ろから眺めた時、それがどれほど綺麗であるかに、ちょっとだけ、ちょっとだけ気づき、心の中で何かきらりと繋がって、空へ飛んでいくかもしれない。
さて、では最後に、最近書いた詩みたいなやつを、ここに載せていただきます、なんか、対面で人に見せるのは恥ずかしいから、こういうところにしか載せられないので…
(1)皿の上のチーズ
皿の上のチーズが、ぼくを見ている
かわいそうなぼくが風に吹かれて
行きたくない場所に飛んでいくぼくを
皿の上で、チーズたちが。
(2)ちょっと下
愛情が、地面のちょっと下のほうにある気がした
あったんだ
与えられていた愛情が、ちょっと下の方に、
ずっと。
(3)薄いぼくと、猫
沈んでいく。
明るくてあたたかい場所に。
気づいたら、建物の壁にもたれている。
人間は、人間に興味がなくなって、
黒くなっていく。
薄くなって。
薄くなってしまって、
横からじゃ見えないんだ。
薄くなって壁に貼りついたぼくを、
貼りついたぼくを
猫が近くで見ている。
てきとうにこういうのを書いて、元気を出したりすることがあります笑
ではみなさん、私の文章は以上です。
読んでくれてありがとう〜
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